目次

秘密計算×AIが眠れるデータを価値にする ― 突き抜けた人生にある「べき乗則」とは

平均や一般論ではなく、ユニークな視点にこそ可能性がある。


「世の中に眠るデータをつなぐハブとなり、集合知で社会をアップデートする」というビジョンを掲げ、秘密計算とAI技術の交点で事業を展開するEAGLYS株式会社。さまざまな産業で活用されていなかったクローズドなデータを互いに秘匿したまま計算・分析することを可能とする同社では、企業競争力の源泉とも言える情報の新たな利活用の道を開拓。企業間のコラボレーション促進を支援しながら、サプライチェーン・製造・金融・医療・物流など多様な領域への応用を進め、業界全体の進化を加速させている。


代表取締役の今林広樹は、早稲田大学大学院在籍中に米国でデータサイエンティストとして活動し、「AI・データ利活用時代」におけるデータセキュリティの社会的重要性を実感。帰国後、科学技術支援機構の戦略的創造研究促進事業(CREST)研究助手を務めながらプライバシー保護ビッグデータ解析についての研究を経て、2016年大学院在籍中にEAGLYS株式会社を創業した。同氏が語る「戦略的ユニークさ」とは。






1章 EAGLYS


1-1. 世の中に眠るデータをつなぐハブとなり、集合知で社会をアップデートする


歴史上、「世界を変えた」と冠するにふさわしい会社は数あるが、「インターネットで」と言うなら間違いなくGoogleの名前が挙がるだろう。創業から四半世紀あまり、検索エンジンという巨大なデータベースにより、情報はWebから探すことが当たり前になった。


しかし、そんなGoogleにも、どうしてもアクセスできない情報がある。インターネット上に公開されていない「一次情報」だ。メディアがヒアリングして記事にする二次情報、三次情報とも違う、事象の起源であるデータそのものをおさえることで、次の時代のGoogleのような会社を作りたかったと今林は語る。


「プライベート版のGoogle、今で言うとプライベート版AIと呼んだりしているのですが、個人が持つプライバシーデータや、企業の中にある活用できていないデータ、いわば眠るデータである一次情報にアクセスできることが何物にも代えがたい価値であり、可能性だと考えているんです」


世の中にあるオープンデータは全体の1割で、残りの9割はクローズドになっているとも言われる。日々我々が生きる世界のデータのうち、Googleで探せるものはわずか10%に過ぎない。そう思えば、むしろ残りの90%にある一次情報こそ、世界を動かす本来の「真実」なのではないかと考えることもできる。


「『一次情報』は、一言で言うと情報としての価値が高いことが特徴です。観点は3つあって、データがオリジナルであることと、オープンに出回らないこと、それからそこにしかないこと。独自性、秘匿性、個別性という観点でものすごく価値が高いんですよ」


EAGLYSでは、データを秘匿しながら暗号状態で計算できる秘密計算技術とAI技術を掛け合わせ、これまで実現できなかった一次情報のセキュアな連携・利活用の基盤をつくり、同時にAIによる付加価値創出を行っている。


「AIの会社は世界的にたくさんある、秘密計算の会社も最近はそれなりにあるんですよ。でも、これを掛け合わせた会社はほかにない。AI×セキュリティ(秘密計算)というこの掛け合わせを、会社がユニークたる戦略としています」



企業間で安全にデータを連携する恩恵が大きい産業の例としては、製造業が挙げられるという。


「日本の製造業のなかでも輸送機械・化学・マテリアル産業は大きな割合を占めているのですが、そのサプライチェーンでは『どんな素材をどういう工程、温度で混ぜ合わせると、こんな部品ができあがる』という秘伝のレシピのようなものを各社が独自に研究・保有しているんです。従来それらは機密情報でしたが、弊社のプラットフォーム上で暗号化してデータ連携することで、より高精度な計算・分析ができるようになるなど研究開発に活用いただいています」


ほかにも同社では金融業に向け、オレオレ詐欺をはじめとする不正取引を検知するAIモデルを開発。単独の金融機関では網羅しにくい複雑な犯罪パターンでも、銀行間でデータを連携することで対策が可能になってくる。


「各社が毎年何億円とかけて対策しても、結局巧妙化する手口とのイタチごっこになってしまう。だから、点で守るのではなく面で守る発想で、秘密計算したデータを共有し、みんなで検知していくという世界を作ったんですよね。同じような話は医療業界、あるいは働く人の感情という個人情報に応用して組織マネジメントに活かすこともできると考えていて、サービスとして開発しています」


AIの価値の根源はアルゴリズムではなく、データにある。データへのアクセスが深く広く、そして速くなるほどに、技術による社会への価値貢献のスピードも速くなる。テックスタートアップの本場、米国サンフランシスコでデータサイエンティストとして働いていた頃から、それが変わらない信念だと今林は語る。


今後EAGLYSでは、社会における新しいデータ活用のインフラとなることを目指していくという。


「基本的にEAGLYSのプラットフォームを介せば、一番正確で精度の高いデータにアクセスできるという、ハブのようなポジションを会社としては目指しています。そのために現在は、僕たちが将来データセンターを持つためにNVIDIA で言う GPUのような次世代ハードウェアを研究開発していたり、業界を変革するようなソフトウェアを持ってDXや共創の基盤となるようなものを作っています」


データ本来の価値を解放することで、世界は変わる。EAGLYSは、次なる時代の変革の震源となる。




2章 生き方


2-1. 知らない外の世界へ


一つに夢中になると、ほかには目もくれずに打ち込んでいる。そんなところは大学教授だった父に似たのかもしれない。研究者らしく、父は土日も書斎にこもって書き物や読み物をしていた。一方で、育った家庭全体の雰囲気は、商売家系だった母方の影響が大きかったと今林は振り返る。


「祖父は広島で小さな保険代理店を経営していて、今は母親が引き継いでいるのですが、保険を買ってくれる人ってだいたい地域の中小企業の社長さんだったりで、すごくローカルなコミュニティの繋がりがいろいろあるんですよ。だから、『周りの子はこうだ』とか『隣の子はすごく勉強を頑張っているのに、広樹は』と言われたり、結構世間体を気にするという印象が強かったなと思います」


祖父からすれば、子や孫世代で初めて生まれた男子だった。跡継ぎとして期待する思いもあったのだろう。幼少期から「社長の孫たるもの」という教育で、きちんと振舞うようにとあれこれ言われる機会は多かった。特に、勉強は分かりやすい指標となっていた。


「親は割と教育熱心だった気がしますね。広島って大手の学習塾以外でローカルに立ち上がった塾も発展していて、結構教育熱心な人が多いんですよ」


幼稚園では近所の公文式に通いはじめた。しかし、与えられるドリルには手をつけず、毎回教室の本棚にあるパズルを引っ張り出しては一人で遊んでしまう。そのうち家にまで持ち帰って遊ぶようになり、勉強ではなくパズルの面白さにのめりこむという結果になった。


小学3年生になる頃には言われるがまま塾へと通いはじめたが、気持ちは全く勉強に向いていないままだった。


「素直に行くには行くんですよ。でも、行ったあとが堕落していて。たとえば、昼休憩のあいだに隣のデパートに行って、マクドナルドとかゴーカートがあるようなおもちゃコーナーで何時間か遊んで、だいたいもう夏期講習が終わるくらいのタイミングで塾に戻ってくる。当時は先生からも親からもよく愚痴られていたように思います」


幼少期、経営者の祖父母と


はじめは何も考えずに言われたことに従うだけだったが、中学受験が近づくにつれ話は変わってきた。成績や志望校のランクなどを比較される機会も自ずと増えてくる。


加えて、小学校で塾に通う人はマイノリティだったため、仲の良い同級生たちはゲームをしたり野球をしたりと思い思いに放課後を楽しんでいる。そんななか一人だけ塾に「行かされている」という感覚は強まるばかりだった。


「だいたい5~6年生になって受験シーズンになると、周りもきちんと勉強しはじめる子が出てくるんですよ。そのあたりから結構比較が激しくなって、僕も面白くなくなってきて。小学生なりに競争ってこんな感じなんだと思ったり、何のためにこれをやっているんだろうみたいな自分の意思を持ちはじめたんです」


勉強はまるで「比較されるためのツール」のようだった。ほかにもそろばん、習字、ピアノに絵画など多くの習い事を経験させてもらったが、結局自分の意思で「やりたい」と望んで通ったものはない。むしろ当時は、家とは関係なく広がる外の世界に無性に惹かれていた。


「家の中で何か影響を受けたというよりは、常に外で探していたという感じがしていて。自分の意思で夢中になれるものを外へ探しに行く。当時は家の中よりも外のコミュニティにいる方が自分の素を出せるというか、自分らしさを出せていたような気がしますね」


たとえば、小学校で特に夢中になったものと言えば、ドッジボールとフットベースボールだ。ちょうど土曜日の授業が終わったあと、昼過ぎから練習している集まりがあったので、友だちに誘われ毎週参加するようになった。みんなで練習を重ね、地域の大会に出場したことも良い思い出だ。


誘われれば決して断らず、一緒に遊んでみる。自分からも積極的に声をかけ、知らない人と距離を縮めていく。そうして友だちの幅が広がっていくことが、とにかく嬉しかった。


「(当時その認識はなかったのですが)今思うと、息苦しかったんだと思います。逆に外がすごく開放的だったんです。もうたくさん楽しい世界が広がっているような、自分の中では毎日が大航海の始まりのような感覚だったんですよね。だから、いろいろな人と関わっていたかったんだと思います」


人と親しくなるほどに知らない遊びを教えてもらえたり、世界は自然に広がっていく。その感覚が何より楽しく、熱中できるものとの出会いもあった。いつしか知らない外の世界へ飛び出していきたいという欲求は、自分のベースになっていた。


小学校時代、友だちと出場したドッジボールの大会にて



2-2. 表層やラベルで判断しないこと


周囲に流されるまま中学は受験に挑んだが、結果は惨敗だった。あまり思いがなかったとはいえ、結果は動かしがたい事実だ。晴れない気持ちを抱えたまま入学した公立中学は、当時地域で1位2位を争うヤンキー中学校だった。


「結果的に家から一番近い公立に行ったんです。そこはもうテレビドラマの『ごくせん』の世界ですね。山の上の方に正門があって、最初は広い道が徐々に細くなっていくのですが、朝8時くらいに登校していくと細い道のところにヤンキーがたむろしているんですよ。みんな朝からタバコを吸っていて、当然茶髪でリーゼントみたいな感じにしている。そこをできるだけ目をつけられないように通っていくという毎日でした」


新しい環境の衝撃もさることながら、何より入学時に心にあったのは受験の結果への悔しさだった。かたや大親友は無事に合格し、一緒に通いたかった偏差値の高い中学へと進学していった。周囲からの比較の目線は言うまでもなく、なんだか一人取り残されてしまったような感覚もある。人生で初めて味わう失敗の悔しさがバネとなり、中学では自分なりに勉強を頑張ってみようと思った。


「ヤンキーが多いような学校なので、テストはものすごく簡単なんです。普通に勉強していたらまぁ90点取れるよねという世界だから、100点を取ることが当たり前になっていって、当然学校の中でも天才扱いですよね。初めてきちんと勉強する意思が湧きはじめて、自分の変化に自分が一番感動しましたね」


嫌いだと思っていた勉強も、自分なりの目的があれば「やらされている」感覚はない。しかし、どれだけ良い成績を収めても優等生的なキャラクターにはならなかった。偶然入ったバスケットボール部が不良の巣窟で、気づけば彼らと仲良くなっていたからだ。


一見すると怖くても、付き合ってみれば意外と人間らしい一面が見えてきたりする。それはそれで新たな世界を知ることができたような感覚で、ポジティブに捉えていたのだが、次第に昔からの親友などからはどことなく距離を置かれるようにもなった。


「『今ちゃんはああいう人たちと絡みはじめているから、絡んだら危ないよね』と周りから言われるし、真面目に見られなくなるとか、いろいろな理由で敬遠されるようになって。小学校ではむしろ愛されキャラで、いろいろな人に囲まれたり自分からも近寄っていたのに、こうも簡単に距離ができるんだと思って。僕自身は何も変わっていないのですが、外から見るとそういう風に見えるんだとギャップを知った時期でした」



決して自分自身が不良になったわけではなくても、一緒に過ごしているだけで親には心配され、離れていく人がいる。嫌われることは怖い。人からの見られ方が気になりだしたりもした。けれど、話を聞く限り、不良にもいろいろな家庭の事情があったり、ある意味豊富な人生経験があるとさえ思えた。


「変に内に閉じこもるのではなくて、しっかり自分を出して先生からは怒られて。牛乳パックを先生の車に投げつけたと思ったら、どこに隠していたのかバイクで校庭内を走り回る。教頭先生がそれを全速力で追いかける様子とか、それを見て周りはシーンとしているのですが、僕だけ笑っているんですよ。もしかしたら、憧れもあったのかもしれないですね」


もちろん人に迷惑をかけるのは良くないが、開放的な彼らの言動はいつも見飽きない。人からの評価などものともせず、自分の意思を貫いている。自分にないものを持つ彼らと偏見なく付き合ううちに、人間性は表層だけでは判断できないと確信するようになった。


「やっぱりその時に自分の芯として、人を外見で判断しない大切さを知ったと思っていて。『話してみればいいやつじゃん』という人を見つけることが好きだったし、そういう人と絡んでいるときの自分こそ自分でいられるような感じがあったと思うんです。だから、今にも続いている感覚として、人に対して外見や表層のラベルだけで判断せずに自分だけのビューを持つことは、採用でも心がけていますし志向性としても意識していると思います」


中学での3年間は、結果的に得るものが多かった。高校受験では自分なりに意思を持ち、自由な校風の学校を探し出し、合格という目標に向けて努力した。入学後も積極的にリーダー役へと立候補するようになっていた。


「中学校ではなんでも少し迷っていたら肩パンが飛んでくるような環境だったので、飛び込まないと生きていけないというか、そういうスタンスが身についた上で高校に行ったので、もう『迷ったらGO』の精神になっていて(笑)。目の前に降ってくるものに対しては、とりあえず食いついていくようになっていたんです」


少しでも興味を惹かれるものや、面白そうなものがあるのなら迷わず飛び込んで行く。逆境や常識を気にするよりは、自分なりの目的意識の有無に従った方がいい。不良たちから学んだものは、さらに能動的に世界を広げていく直感や行動へと繋がっていった。


高校時代、「団長」に立候補した体育祭にて



2-3. 自分だけのコンテンツ(専門性)


部活も学校行事も、高校では目の前のことを全力で楽しんだ。あっという間に感じるほど充実していた反面、将来については何一つ考えられていなかった。


「小さい頃から世の中には社長しか職が無いんだと思っていたくらいで、それは当時もまだあまり変わっていなかったんです。医者や弁護士、宇宙飛行士、大学の教授くらいは分かっていたのですが、自分の中で『これになりたい』というものはなくて。大学も最初はそのまま広島に残って、医学部にでも挑戦しようかなと思っていたんですよ」


目標が定まったのは、高校の修学旅行で訪れた東京だった。いままでにない広い世界を体感するとともに、最後に品川駅で食べたつけ麺の美味しさに衝撃を受け、「大学は東京に行く!」とまずその場で決めた。


それ以降、チャレンジ精神だけはあったので、E判定でも第一志望には東京大学と書いていた。とりあえず東京に行けば、さらに広がる世界を知れそうだという一心で受験に臨み、最終的には早稲田大学の先進理工学部へと入学することになる。人の脳への興味があったので、専攻は生命医科学にした。


「大学1~2年生の時は友だちとずっと麻雀をしたりして、遊びましたね。入学できたことでその先の目的を見失って。ようやく3年生になると研究室配属があって、だいたいここで進路について考えさせられるんですよ。結局僕は理系に入ったのですがあまり勉強が面白いと思えなくて、文系進路で就職することを考えて動いていたんです」


何社かを回っていると、学生ながら既に会社を作ったり、自分の意思を持って活動している人がいた。詳しくルーツなどを聞いてみると、過去には創業間もない会社でインターンとして働き、学生ながらナンバー2のようなポジションを経験したという。聞けば聞くほど圧倒され、同時に業界や社会について無知な自分への危機感が募った。


とにかく自分も経験を積まなければと、ベンチャー企業のインターンシップに応募してみることにする。理系だがプログラミングもできない、何のスキルもない学生を拾ってくれる会社を見つけることは簡単ではなかったが、幸運にもマーケティング担当として拾ってもらえる企業との出会いがあった。


「10社くらい受けて全部断られたのですが、11社目が偶然猫の手も借りたいという状況で、かつプログラミングスキルなども求められなかった。そこは世の中にオープンイノベーションや新しい企業が生まれることを支援する会社で、世の中のためになる起業アイデアをどんどんキュレーションしていくメディアを立ち上げようという企画もあったりして。それなら時間さえかければできる話なのでやりますと言って、実質ナンバー2的なポジションで関わらせていただいたんです」


大学時代、インターン先の前で


やることはとにかく海外のスタートアップや起業のトレンド情報をネットで集め、日本語へと翻訳し、投資やアイデアの傾向として記事にする。Yコンビネーターをはじめとするファンドやアクセラレーターといった仕組みも初めて知るものばかりだが、睡眠時間を削ればなんとか形にできる仕事だった。


「こういうアイデアをタイムマシン経営すればいいんじゃないですか、サイバーエージェントも海外を参考にしてこういうことをやっていますよといった感じでひたすらアイデアを貼っていったら、それがDeNAとかリクルートとか業界の著名人やスタートアップ界隈の方々の目に留まって、Twitterでシェアしてくれたりして。その会社の知名度もすごく上がりはじめたんです」


ひとたび話題にしてもらえると記事は拡散し、会社としての影響力も増していく。メディアだけでなく、話題の起業家を呼んでの講演会を手配する役割を担ったり、気づけば無我夢中で仕事に向き合うようになっていった。


「何か事業を立ち上げるとか、とりあえず泥臭くやって何かコトを成すという体験をさせてもらえたんですよ。ある意味自分の初めての起業体験のような感じで、ひたすら夜通し働いていて。もう理系の閉じた授業なんて面白くなくて、外の活動ばかりやっていました」


はじめは難しく苦しい作業でも、続けるうちに自分なりの面白さを見出したりする。当時はそれが、最先端のテーマを扱っていることだった。


「米国という、さらに僕が知らない世界がそこにある。その中で新しい起業のアイデアだったりテーマだったり、世の中の情勢としてどんな潮流が来ているんだろうみたいなことを知る機会にもなったので、単純に好奇心としてそれをまとめることが楽しかったんです。実は、その中でAIや機械学習というキーワードにも初めて触れていたんですよね」


記事によると、今、ハーバードの文系学生はこぞって隣のMIT(マサチューセッツ工科大学)へ足を運び、クラスを受講しながら優秀な理系学生を探しているということだった。2013年当時、米国ではマーク・ザッカーバーグなどのアントレプレナーに憧れた多くの若者が学生起業を志し、自分の起業ネタを実装してくれるエンジニアを必要とし、戦略的に狩りに行く動きがあったのだ。


特に、狩りの対象となるクラスとして紹介されていたのが「Machine Learning」、つまりAIの理論である機械学習だった。まだ現在のようなAIブームが巻き起こる少し前のことである。近い未来、確実にAIの時代はやってくる。神経科学に興味がある自分としても、将来挑むべきテーマとしていいかもしれない。インターンでの経験を通じ、ちょうど自分にも起業意欲が湧きはじめていた。



「当時学校でやっていた神経科学の研究では、マウスを飼育して実験に使ったり、それって結果が出るまでに3年4年かかったり、10年後にようやく社会で認められるような世界だったんですよね。AIは同じシュミレーションでもコンピューターを使うので、すぐに仮説検証できるし1日で終わったりする。それが個人的にすごく楽しくて、プログラミングや機械学習などいろいろなテーマを自分で勉強しはじめたんです」


独学でAIや機械学習について学びはじめる。それまでに稼いだアルバイト代や貯金は、一気に数十万円分を全て書籍の購入に費やした。毎日2~3時間にまで睡眠を減らして机に向かうほど没頭していった。


一つ機械学習について学びはじめると、Pythonなどプログラミングの知識が必要だと分かる。それならとプログラミングから学びはじめると、今度はC言語によるアルゴリズムへの理解が前提になっていて、さらにそれを理解するには数学的な線形代数や行列計算の知識が必要であると分かってくる。「勉強のための勉強」が無限に続いて広がっていく。その感覚が、たまらなく面白かった。


「これが異業種間の連携ということなんだなと、その時なんとなく意味が分かったんです。数学的な視点から見る世界と、コンピューターの視点から見る世界が全く違ったり、いろいろ差分が見えてくるなかで、AIという狭い領域とはいえ世の中の森羅万象が少し見えてきたように感じて。同時に、機械学習や数学で圧倒的な専門性を持つことが、自分の中で初めて人に言えるスキルであり、起業のベースになると見えてきたんです」


まず秀逸なアイデアがあり、ビジネスになるからと起業する人もいる。しかし、自分は「これは負けない」と言えるスキルやコンテンツをベースにした起業がしたかった。何よりきっとそれが人生の生存戦略になると思っていたからだ。


「昔から僕が弱かったものとして、なかなか勉強ができなかったり、外から比較されたり、社会も知らないしスキルもないしで自分の個としての弱さに悩んでいたんです。大学ではみんな生物に詳しくて優秀で、学科の同期60人の中で僕一人だけ麻雀とか外の活動ばかりして、圧倒的に劣等感があったんですよ。その時にふと、自分にしかない専門性を持つことが周りと比べられない強みになるんだと思ったんです」


起業について語れるだけで、大学の理系学科では100分の1になれる。そこにプログラミングやAI、数学といった領域を掛け合わせると、単純計算では100分の1×100分の1で10,000分の1になれる。これを基本的な生存戦略とし、自分の生き方のベースにしようと考えた。


シンプルな相対比較では劣等感にしかならなくても、掛け算次第では唯一無二の強みになる可能性を秘めている。自分とコミュニティ、そして社会を俯瞰して、勝てる専門性を身につけるべくAI領域へと踏み出すことを決めていた。




2-4. 起業


起業を意識してからはいろいろな起業家の本を読み漁り、なかでも孫正義氏が10代で立てたとされる「人生50年計画」を自分も作ってみることにした。


「最初の数年は自分の専門性を高めるために大学院に行く。それから米国への憧れやシリコンバレーのこと、25歳の頃に起業するということを書いたんです。テーマとしては『AI』と、実家が保険業だったこともあって、漠然と人の安心安全に関わるようなことをしたいと思って『セキュリティ』は書いていて。そこで決めた大枠に沿って、以降は進めていった感覚があります」


大学院ではしっかり興味ある分野について研究したいと思い、情報工学に転科した。心機一転研究に向かおうとしたところで、ちょうど文部科学省が支援するプログラムの一環で、米国でインターンシップをするチケットが大学にあると知る。まさにチャンスだと迷わず申し込み、休学してシリコンバレーへと渡ることにした。


「米国に行ってみたら、2つのポイントで打ちのめされたんですよ。1つはただ単純に英語が話せない。それからGoogleとかFacebookとか各社のイベントに参加している人の話を聞くと、みんな本当にレベルの高いコンテンツを持っているんです。AIの中でもこの領域に特化しているとか、そんな人が当たり前のようにたくさんいたんですね」


君は何をしているのかと聞かれても、いわゆるAIの一般的な勉強をしているに過ぎないのだと自覚させられる。それを必死に片言の英語で答えるうちに自信がなくなってきて、「このまま帰った方がいいのではないか」という考えが頭をよぎったりもした。


幸い相談できる日本人がいたので話を聞いてもらうと、心は落ち着いた。最終的にはやはり生存戦略に立ち返り、ひとまず自分にしかできないやり方で価値貢献できる道を探そうと考えた。


「働いていた会社は、いわゆるインキュベーションファンド的にスタートアップ企業に投資もするし、インキュベーションもするという施設だったので、みんな新しい技術領域の現場の声を知りたがっていたんです。たとえば、AI領域なら僕が学会に足を運んで、そこに出展している企業の論文発表メモとパンフレットを全部持って帰り、分析すると技術の現在地や今後の投資の指針ができる。それなら価値貢献に繋げられるかなと思って、レポートを何十枚と書いていくと周りから有意義だと褒められたりもして、なんとか自信を取り戻していった期間でした」


米国にて、自分と向き合った太平洋のサンセット


当初は3か月のプログラムだったが、自主的にビザを延長して計1年弱ほど働いた。その間、調査レポートをまとめるだけでなく、実際に金融系のデータを使ったAIの分析を提案する機会にも恵まれた。そこでは、かねてから考えていたアイデアを試してみようとした。


「Googleの人たちはWebに転がっているオープンなデータを使って、盛んにアルゴリズムの研究活動をしていたんです。でも、人間が食べたものによって体が構成されていくように、実はAIも何を食べるかによって本質が変わるなと思っていて。みんなアルゴリズムやAIの処理の仕方ばかり議論していたけれど、結局重要になるのは絶対にデータだということが当時から自分の信念だったんですよ」


Web上に出回るオープンデータではなく、各企業が内部でのみ保有する「一次情報」にアクセスできれば、全く違ったAIに生まれ変わるはず。そんなコンセプトで社内で企画をプレゼンしたが、反応はいまいちだった。そんな機密データは取り出せない、データを持つ会社に君自身が入社した方がいいのではないかと言われたりもした。


「セキュリティ部署の承認を取ってデータをもらうのに6か月かかるという感じで、最先端の米国でも業務はアナログなんだと、日本だけじゃなくあの憧れた米国でもこうなのかと絶望しかけたのですが、一方でこれはチャンスだとも思って。一次情報へのアクセスを実現するセキュリティ、そこにAIとセキュリティを掛け合わせる発想を誰もやっていないなら、これは勝てると思ったんです」


誰もが時代はAIだ、アルゴリズムだと言っている。今でこそ生成AIの発達によりデータやセキュリティの重要性を語る声も出てきたが、当時はまだ聞く耳を持ってくれる人はいなかった。しかし、だからこそ勝機があると確信した。


起業のテーマは定まったので、改めて専門性を磨くべく帰国する。調べるなかで、データを暗号化したまま計算できる秘密計算技術の存在を知り、自分のコアとすべくAI・ビッグデータ系の研究室に在籍し、セキュリティの切り口から研究させてもらうことになった。国家プロジェクトの研究助手を務める機会にも恵まれつつ、複数の論文を発表。飛び級で博士課程にも進んだが、研究成果を社会に実装していくべく起業を選択することにした。


2016年、大学院在学中にEAGLYS株式会社を創業。あらゆるデータを安全に活用できる社会を実現できれば、きっと世界を変えられる。確信とともに、自分だけの道を歩み出した。


2018年、早稲田大学にて行われた講演会でジャック・マー氏と対談



3章 生き方を模索する人へ


3-1. 「べき乗則」的生き方のススメ


世の中にあるほとんどの一般論や表層的情報はChatGPTに聞けば分かる時代、「あなた自身は何の価値を発揮できるのか」が問われている。コアとなる領域や専門性を持つことで、自分自身を圧倒的に差別化する必要があると今林は考える。


「これは僕の生き方なので皆さん全員には当てはまらないだろうとは思いつつ、やっぱり自分なりのユニークさとなる領域をきちんと戦略的に作りにいくことはすごく大切だと思っていて。そのためには、その領域に対してものすごく投下しないといけないと思うんですよ。ふわっと理解するだけならただのミーハー、AIですらできるので」


定めた領域についてきちんと学ぶことなくして、ほかの人にはない自分だけの視点や意見を持つことはできない。多くの人はAを信じていても、自分はBが正しいと思う。そうして良い意味で対象を批判的に捉えて語ることができるようになって初めて、ユニークであると言えるだろう。


たとえ周囲のほとんどが反対を口にしたとしても、むしろそれは貴重なチャンスであると、ピーター・ティールも著書『ゼロ・トゥ・ワン』の中で語っている。本書を初めて読んで以来、今林は人生の指針としてきたという。


「ピーター・ティールさんの『ゼロ・トゥ・ワン』はすごく好きで。おそらく皆さん本の中で有名な『隠された真実』というお話に注目されると思うのですが、僕は個人的にもう一つ、マイナーだけれど理論的に面白いなと思っている一節があって、それが『べき乗則』という概念についてなんです」


「べき乗則」とは、特定の少数が大多数よりも極めて大きな影響力を持つ法則のことだ。パレートの法則(80:20の法則)やロングテールを説明するグラフの形がそれにあたり、ある数値が単純な比例関係ではなく特定の指数で増減することを意味する。


しかし、多くの人は反対に「正規分布*」、すなわち平均値的な考え方であらゆる事象を捉えていると今林は語る(*平均値を中心軸に左右対称となり、データが平均の付近に集積するような確率分布のこと)



たとえば、正規分布に従って投資先を考えるとするならば、平均を中心に良い企業・悪い企業、つまりそこそこ成功するかもしれない企業・そこそこ失敗するかもしれない企業と、“バランスよく”ポートフォリオを組むことで全体のパフォーマンスを担保する。これはサイエンスが進むほど多くの人が信じやすくなるファンドの運営法でもあるが、米国で大成功しているファンドの運営結果は必ずしも正規分布になっていないという。UberやInstagramなど特定の1社がとことん成功し、あとはとことん失敗するというスタイルになっていることが多い。


人の意思決定も、あるタイミングにおける一瞬の判断が、その他の時間でなされた多くの判断よりも実は人生に大きな影響をもたらしているかもしれないと今林は考える。


「自分が意思決定をするときも、これは分布で言うとどのあたりになっているだろうとか、普通ではなくきちんと尖った判断になっているかどうか、べき乗則的な意思決定になっているかどうかは結構意識しています」


クライアントにプロジェクトを提案するシーンで言うならば、ABC案からバランスの取れた案を優れたものとして選んでもらうやり方が平均値的には安全で最適だろう。けれど、べき乗則的に考えるならば、まず諸要件の中でも圧倒的にコアとなるものを見定め、ほかが多少粗くても磨けば極めて優れたアウトプットになるアイデアや可能性を提示することを心がけているという。


「べき乗則の考え方は個人的にすごく好きで、かつ世の中の森羅万象に結構当てはまる話なんじゃないかと思っているんです。おそらく人のホメオスタシス(恒常性)的に、コンフォートゾーンから抜け出せないという性質が邪魔していると思っていて、たとえば『今日は筋トレを頑張って30回やったから明日は20回でいいや』とか、『今日ちょっと食べすぎたから明日はお昼を抜こう』とか、基本的にあらゆる意思決定が平均値の考え方じゃないですか。その積み重ねで生きている。僕も意識していないときはつい正規分布的に考えてしまうんです。でも、『正規分布的な人間になっていたな』と、ふと思ったりして(笑)。できるだけべき乗則的であろうと意識しています」


平均的な意思決定は、過去に囚われすぎているということでもあるのかもしれない。あえて偏ること(極めて偏ることには賛否が生まれるが)で、その過程でほかにはない面白いストーリーを経験できる可能性だってある。


今、この瞬間はフラットに、べき乗則的であるかと自分に問いかける。それができるかどうかの違いこそ、ある人が歴史上偉大な功績を成し遂げたか否かを分けてきた一つの要因なのだろう。




2025.2.7

文・引田有佳/Focus On編集部





編集後記


いわゆるコンフォートゾーンの魔力は抗いがたいものがある。それは個人の意思だけでなく、人間の本能的機能にも由来するからだ。少し挑戦的な目標を立て、人それぞれの動機をエンジンに変わろうとする。向上心や野心、義務感でもなんでもいい。なんとか一歩踏み出すまではいいとして、そのあとすぐ帳尻を合わせるかのように自分を甘やかす。そうして私たちは無意識に自分を平均値化してしまう生き物であると今林氏は語る。


平均から外れることは、それだけで価値がある。なぜなら、世の中は平均に近づこうとしている人であふれているからだ。ユニークでありたいと望むと望まざるとに関わらず、日々の意思決定の積み重ねが既に方向性を決定づけている。


Googleで検索するという行為もそうかもしれない。平均的なデータを探し出し、便利だからと意思決定に使おうとする。しかし、そもそも真実がネット上にあるとは限らない。


EAGLYSが目指すデータのインフラは、人や企業の中に眠っていたデータを安全に使えるようにする。それにより、これまでにないユニークな意思決定が生みだされていくとすれば、世界はこれからもっと新たな一面を開花させていくのかもしれない。


文・Focus On編集部



▼YouTube動画(本取材の様子をダイジェストでご覧いただけます)

あらゆる意思決定を平均値にしない|起業家 今林広樹の人生に迫る





EAGLYS株式会社 今林広樹

代表取締役社長

1992年生まれ。広島県出身。早稲田大学大学院在籍中、米国でデータサイエンティストとして活動したことを契機に、「AI・データ利活用時代」におけるデータセキュリティの社会的重要性を実感。帰国後、科学技術支援機構/戦略的創造研究推進事業(CREST) の一貫でAIセキュリティ・AIプライバシー技術に関する研究に従事。研究成果により本専攻賞を受賞、博士課程に飛び級進学。2016年EAGLYSを創業し、製造・化学・金融・物流等の産業向けに安全なデータ連携・AI活用を実現するプラットフォームを展開。2022年プライバシーテック協会を設立、理事に就任。文部科学省/アントレ教育WG委員も務める。2020年Japan Venture Award「中小企業庁長官賞」、2022年「Forbes 30 Under 30」受賞、日経新聞から「AIモンスター」として掲載。

https://eaglys.co.jp/


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