Focus On
吉田一星
株式会社EmbodyMe  
代表取締役CEO
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or成すべきことを達するために必要なものは、スポーツも仕事も変わらない。そんな想いを体現していく組織がある。
元アスリートたちが、「スポーツ×Web」でスポーツ産業を革新していく。株式会社プラスクラスは、スポーツチームにデジタルマーケティングの視点を取り入れ、前年比200%増の観客動員を実現するなど高い実績を誇る。2020年の東京オリンピックを目前に、同社ではスポーツ庁の外郭団体とも連携しながら、アスリートのセカンドキャリア支援にも取り組んでいく。
日米で活動したバスケットボール選手からWebコンサルタントへ転身し、豊富な知見と実績をもとに同社を創業した代表取締役の平地大樹。そして、創業メンバーであり元甲子園球児、現在はグループ会社執行役員を務める玉井恒佑。スポーツに人生をかけてきた2人にとっての「スポーツへの恩返し」とは。
目次
世界最高峰のバスケットボールリーグ「NBA」で活躍した、伝説の人マイケル・ジョーダン。所属チームであるシカゴ・ブルズを6度の優勝に導き、両手で数え切れないほどのMVPを受賞した。その超人的プレーを録画したビデオを、すり切れるくらい巻き戻し、プレーの一つ一つを研究し、真似をした。憧れの人と同じコートでプレーしたい、その夢だけを追いかけてきた。
ジョーダンが活躍したシカゴ・ブルズと同じ、赤黒白の3色を配したロゴをもつ株式会社プラスクラスは、日本ではまだまだ未開拓な「スポーツ×Web」領域を切り拓く。デジタル広告やSNS、Web・映像コンテンツ制作など、同社がデジタルマーケティングを支援するチーム『千葉ジェッツ』は、2015-2016年シーズン、国内プロバスケ界で歴代1位の集客数を実現。その後の2016-2017年シーズンも1位、現在進行中の2017-2018年シーズンも圧倒的No.1を実現している。
自身もプロのバスケ選手を目指し、渡米した過去をもつ代表取締役の平地氏は、引退後、アスリートのセカンドキャリア支援を担うべく、起業を決意。人材コンサルティング企業、Webコンサルティング企業を経てきた。これまでに宣伝会議やアドテック東京・関西、MarkeZine Day(マーケジン・デイ)などでの講演、専門学校講師を務めるなど、豊富な実績を残している。
平地「仕事とスポーツは同じ。なんだったら、スポーツと人生は同じだと思っています」
プロバスケットボール選手としての夢を追いかけた平地氏。そして同じく青春時代をスポーツに捧げた、元甲子園球児である玉井氏。スポーツの世界を歩んできた2人が語る、未来のスポーツのあり方に迫る。
私たちにたくさんの感動を届けてくれるスポーツ選手。その活躍の華々しさとは裏腹に、チームの運営や集客、選手のキャリアなど、現実的な問題に光があたることは多くはない。
平地「負の連鎖が起きているんです。観客数が伸びないから、チームの収入が伸びない。チームにお金がないから、選手の年俸が上がらないし、運営社員の給与水準も低い。選手や運営者自身が食べていけないから、目指す人が減る。目指す人が減るから、全体のレベルが下がる。レベルが下がるから、ますます観る人が減っていく」
そんな「負の連鎖」がつづく日本のスポーツ産業に、Webを活用した新しい風を吹きこむ株式会社プラスクラス。同社は、SEOや広告、制作など包括的なコンサルティングを切り口にして、欧米のスポーツ業界では盛んな「スポーツ×Web」の取り組みを推し進めてきた。
2016年にサッカーのJ2で優勝、J1昇格を決めた『北海道コンサドーレ札幌』も、同社が支援するチームの一つだ。2015年シーズン、Webサイトのチケット購入ページを試合ごとに作成し、試合ごとにキャッチコピーをつけるなど、1試合1試合の意味を解説し、観たいという意欲を盛り上げる仕掛けを用意した。その結果、Webサイトからのチケット購入が、施策前と比べ250%増加した。
スポーツ庁が発表したところによると、現在、日本のスポーツ産業は5兆円規模であるという。国はこれに対し、2020年には10兆円、2025年には15兆円にするという目標を掲げている。2019年に日本各地で開催されるラグビーワールドカップ、2020年の東京オリンピックを控え、いま、日本のスポーツ産業にはかつてないほどの注目が集まっている。
平地「その産業が伸びていくときに、マーケティングが必要とされないわけがない。そこにがっつり入り込んでいきます」
スポーツの世界に存在する「負の連鎖」。それを断ち切り、新たな境地を拓くため、プラスクラスは「マーケティング」と「クリエイティブ」、2つの力を駆使して産業を発展させていく。
より多くの観客を熱狂に巻き込んでいった『北海道コンサドーレ札幌』のクリエイティブ。
夢を追いかけるアスリートのうち、全員がそれを手にできるほど現実は甘くない。夢も「選手」という職も失ったそのとき、自分一人の力で将来への希望を取り戻し、立ち上がることができる人が、果たしてどれだけいるだろうか。
10代20代をスポーツに捧げ、ビジネスのスキルや経験をもたないスポーツ選手たちが、そこから一般の企業に就職することは非常に難しい。夢を追いかけ、目標に向かって真っ直ぐ努力を重ねてきた元選手たちが、働き口を見つけられず、アルバイトで生活をつないでいることも多いという。
平地「クビになってはじめて、いきなりポーンと投げ出されて、『やべぇ状態じゃん』と考えてました。家族も省みずに『もう俺はこれしかないんだ』ってスポーツやってるから、それ以外生きる道がないと思ってたんですよね」
アスリートの「セカンドキャリア問題」。それは、深刻な社会問題となっている。バスケットボール選手として日米で活動するアスリートであった平地氏も、引退後の職探しに困窮した。自ら経験したその現状を変えるため、起業した。
平地「たまたまスポーツ×デジタルマーケティングは、日本では本当に未開の地で、全然やっているところはない。いきなりキャリア支援じゃなくて、まずは自分がビジネスで得意としてやってきたデジタルマーケティングで売上をしっかり上げつつ、僕がメディアなんかに出てくことによって、オピニオンリーダーになっていく。そこでようやく、セカンドキャリアの支援をやっていくときに影響力をもてる」
誰も入らない領域に入り込み、スポーツ産業の発展のフロンティアとなることで、産業における存在感を高めていく。2017年、同社がベストベンチャー100(『ベンチャー通信』より)に選出された際には、「スポーツ」という業界カテゴリが新設された。日本になかった新たな領域が確立され、そこから多数の問合せにつながるなど、着実にプレゼンスは高まりつつある。
2016年2月には、グループ会社としてプラスクラス・スポーツ・インキュベーション株式会社(以下、PSI)が、スポーツに関わるすべてのビジネスにおいて事業創出者となることを目指して設立された。次なる一手、アスリートのセカンドキャリア支援に向けて、同社はスタートラインに立った形だ。
平地「PSIは今後スポーツ産業が伸びていく上で、確実に一緒に伸ばしていけると思うので、この先の上場に向けて伸ばしていきたい。それをフォローするための会社がプラスクラスなんです。やりたいことをやるための(土台となる)会社であるプラスクラスと、やりたいことをやる会社であるPSIという切り分けかつ共存が、強みなんです」
2020年の東京オリンピックにマイルストーンを置き、上場を視野に入れる同社。着実に実績を伸ばすことができると見込んでいる「スポーツ×マーケティング」の領域において事業を拡大させていく。その強固な土台をもって、選手のプロデビューから引退後のフォローアップまでを一気通貫で実現する仕組みを設け、アジアへと広げていきたいと語る平地氏。それがプラスクラス、そしてPSIの描く未来である。
PSI執行役員の玉井氏(左)、PSI代表の平地氏(右)
幼少期からそれぞれのスポーツ人生を送ってきた平地氏と玉井氏。スポーツには、特別な想いがある。
平地氏とバスケットボールの出会いは、小学校のミニバスケクラブチームだった。毎朝寝坊してばかりいる息子を見かねた母親が、授業前に朝練に出なければならないチームに入れたのだという。
平地「身体も大きかったし運動神経も割と良かったから、6年の先輩のなか4年でスタメンになれたんですよ。そのときから楽しくてハマったんですよね。こんなに上のやつらとやれるのかと。『あいつ4年らしいぞ』みたいに言われながら、それがやたら気持ちよくて」
やればやるほどバスケットボールが上達し、楽しくなっていく。平地氏は、小学生のときからプロの選手になることを夢見るようになり、練習にものめり込んでいった。
平地「とにかくバスケがしたくて。勉強とかいろいろ言われるのめんどくさいし、親に文句言われないくらいにちゃんと勉強しておけば、好きなバスケやれるから。怒られない程度に勉強はちゃんとやってましたね」
多くのスポーツ少年にとって、「勉強かスポーツか」という二者択一問題は切実だ。当時は、プロになるためにスポーツのみに専念すべきと考える教育者が多かった。そんな時代に、平地氏はスポーツと勉強を両立させる環境で育った。
平地「僕がいた学校は特殊なんですよね。勉強もちゃんとさせていて。監督からも『勉強が伸びればバスケも伸びる』って言われつづけてました」
師に恵まれたと語る平地氏。監督はもともと日本を代表する選手だった人で、常日頃から「意味を考えて練習しろ」と言いながら選手たちを指導していた。厳しい監督だったが、地道な練習の意味を考えさせることで、プロになるという大きな夢を叶えるために必要なことを教えてくれた。どんなにハードな練習も、一見すると回り道に思える勉強も、すべて夢を叶えるための意味がある。一歩一歩を大切に、歩みつづける。それはいつしか、平地氏にとっての当たり前となっていった。
大学卒業後はアメリカに渡り、バスケットボール選手として活動した平地氏(プロバスケットボールリーグNBAで活躍する田臥勇太氏が同期)。帰国し、日本にて引退を決意したのは27歳のときだった。
平地「言葉を選ばずに言うと、僕はもうそこで一回ダメになりました。だけど、同じようにまだ現役で頑張ってる選手もいます。そいつらよりも3年後とか5年後とかに、どうやったら上に立てるか。それをすごい考えましたよね。イヤな奴だけど、そうじゃないと、自分のプライドが許せなかったから」
引退すれどもバスケへの想いは変わらない。けれど、選手ではなくなる自分がいる。選手としての土俵では競い合うことはできない。心に空いた大き過ぎる穴をどうすれば埋められるか考え、見つかった答えは、自分と同じように今後引退する選手に出会ったときに、何か手を差し伸べられる自分でいることだった。
平地「単純に僕が引退したときに、僕を支援できる人材会社ってどこにも無かったんですよね。大手も中小もいろんなところに行ったけど、僕の履歴書を通せる会社は無かった。27歳仕事経験なし、パソコン触れない、何もできない、しかも子持ち。重いやろみたいな(笑)」
それまでスポーツの世界で突き抜けるための努力をしてきた人材が、突然社会に放り出されキャリア形成に迷う。そんな風に苦しんでいる人はたくさんいるはずだ。平地氏は、身をもってその苦しみを経験し、スポーツ選手のキャリア支援をやるべきであると考えた。
幸運にも、大学時代に応援団長をしていた人材紹介会社の社長が、平地氏のスポーツで培ったバイタリティを買ってくれた。そこで転職斡旋の実業務を学ぼうと考えた平地氏だったが、入社してよく分かったのは、そもそもアスリートの採用ニーズがないから成立しないということだった。
そんなとき、高校の先輩の紹介会社で知ったのが、当時Webマーケティング事業で拡大し、新規事業を積極的に立ち上げていたアイオイクス社だった。「アスリートのセカンドキャリアを支援したい」その思いを、代表に直談判しに行った。
平地「『やってみたらいいんじゃない』みたいなこと言われて。『でもお前のこと知らないし、いきなり金出すわけにいかないから、とりあえずSEO売ってこい』みたいなこと言われて、入社したんです」
営業成績を出し、3年ほどでしっかりお金をつくることができたなら、投資する。そんな約束をして入社をした。はじめて、本気で仕事に取り組むことができたという平地氏。連日3時間睡眠がつづいたとしても、まったく興味のなかったWebやSEO関係の仕事でも、気にはならなかった。
平地「ほんとに仕事するには仕事がんばんなきゃいけないし、勉強もがんばんなきゃいけないし、寝る時間なんかない。僕が本気でビジネスマンになったのって、そのときだったと思うんですよね」
スポーツの世界でも、良い選手になるためには、とにかく量も質もこなす必要がある。日々必要なフットワークがあり、必要なテンプレートがあり、必要なシューティング数がある。アスリート魂で仕事に打ち込んだ平地氏。
「意味を考えて練習しろ」かつてバスケの監督にもらった言葉が支えてくれていた。その先にやりたいことがあるからこそ、無駄なことも無駄ではなく、実現のための努力は惜しまない。その論理は、スポーツも仕事も同じように当てはまる。それが平地氏の原動力となっていた。
PSIは、バスケアパレルブランド「Watch&C」のクリエイティブディレクションも手掛ける。
プラスクラス創業メンバーであり、現在PSI執行役員の玉井氏は、勉強の必要性を教えられていた平地氏とは真逆の環境を歩んできた。しかし、二人が歩む道はいつしか重なり、「アスリートのセカンドキャリア支援」という大きな道へと向かっていくこととなる。
玉井「スポーツをやるか勉強をやるか、小1のとき親に迫られて。スポーツが本当に好きなら勉強はいいと。その代わり、一生懸命一つのこと極めなさいって言われたんです」
中学から本格的に野球を始め、高校は神奈川の全寮制で、野球一筋の青春を送ってきた玉井氏。いわゆる強豪校と呼ばれるような学校では、朝から晩まで、月曜から日曜まで部活一色というケースが一般的だった。勉強することは二の次。甲子園を目指す上では、勉強するよりもバットを振ることが大事だと言われてきた。
玉井「平地さんと僕は、そこは真逆なんですよ。僕が通っていた学校は、日中も学校免除が許される環境でした。全寮制だから親とも切り離されているし。野球やるために入ってるから、極端な話、むしろ勉強しちゃダメだったんです(笑)」
そこで生きていくためには、「スポーツのスキルを伸ばしていく」という約束をしている。だからこそ、その世界だけ(甲子園だけ)を考えて邁進していく。スポーツ以外の選択肢を考えることをしないし、できない環境がそこにはあった。
10代をスポーツに捧げ、大学以降プロを目指すか否かという選択は、アスリートにとって大きな分岐点となる。玉井氏の場合、甲子園出場を目前に負傷し、最後はプレイングマネージャーとしてチームを支えた。数年間で蓄積された疲労が「プレーできないまでの怪我」につながり、プロの道に進めないことが分かっていた。「自分は普通の大学生になり、どうせつまらない社会人になるのだろう」と想像していた。
大学では野球から離れるも、テレビをつければ、高校時代一緒に戦っていた同期や先輩、当時の対戦相手たちがプロとして試合で活躍している。スポーツを失った玉井氏にとって、彼らは希望であり、憧れの存在だった。
しかし、大学を卒業し一般企業に就職したタイミングで、プロの世界に入った同期たちが次々とクビを切られていった。玉井氏のスポーツと向き合う心に、変化が訪れていた。
玉井「22歳とか社会人なった瞬間に『あれ?俺らの希望の星が、なんでもうクビ切られて路頭に迷ってるの?』と思って。なんとかしたいな、これでいいんだっけって、その瞬間に初めて思ったんです」
スポーツから学び、スポーツだけを考え生きてきた。自分がその世界で活躍する力を失ってもなお、スポーツへの特別な想いは変わることはない。路頭に迷う仲間のために、なんとかしたい。けれど、自分の力でどうにかできるわけがない。晴れない思いを抱きながら、玉井氏は社会人生活をはじめることとなった。
怪我は治らず、甲子園にはベンチで記録係として参加した玉井氏。本気で野球に打ち込んでいながらも「大好きな野球ができなくなる」という挫折を味わったことのある玉井氏だからこそ、試合に出ている選手、出ていない選手、双方の気持ちを汲むことができた。
アイオイクス社から、オプト社とのジョイントベンチャー企業であるクロスフィニティ社へ出向した平地氏。そこでは、新卒でオプト社よりクロスフィニティ社へ出向していた玉井氏と、初めて出会うことになる。スポーツを失い、仕事に夢も期待もなかった新卒の玉井氏は、入社早々にくじけていた。
平地「まぁ逃げだそうとしたというよりは、逃げ出したよね(笑)」
玉井「普通によくある5月病ですよね。一ヶ月くらい一切仕事のこと考えなかった。入ってから一ヶ月後に、一ヶ月半くらい無断欠勤ですからね(笑)笑っちゃいけないところですが(笑)」
平地氏が挫けた玉井氏に手を差し伸べるのに、特別な理由はなかった。「アスリートのセカンドキャリア支援」という夢を実現するためには、まずアイオイクス社で売上をあげる必要がある。そのためには会社がうまく回る必要があるし、玉井氏にも力となってもらいたかった。
スポーツに打ち込んできていた玉井氏の境遇は、平地氏と重なるものがあった。甲子園に出場するほど本気でスポーツをやってきた玉井氏の力は、きっとビジネスに活かせるはずだと、平地氏は考えていた。
平地「甲子園級でやってきてるってことは、僕のなかではやっぱり『反芻ができる人』だから。その反芻をビジネス側にピボット踏めればいいだけの話だから、どうやってピボット踏むかっていう話を単純にしたんです」
なぜこんなに提案書をつくらなければならないのか。なぜこんなに徹夜しなければならないのか。なぜ明日までにやれと言われても、断らずにやらなければならないのか。そんな話を、わかりやすく、野球に置き換えながら伝えていった。
たとえば、200回の素振りが必要なときもあれば、100回の素振りが必要なときもある。20周マラソンすれば十分体力がつくのに、100周させられることもある。無駄なこともあったけれど、すべて甲子園に行くという、ただ一つの目的を完遂するためにやってきたはず。その思いと反芻が、上達するか否かの差を生んでいる。仕事もスポーツも同じなのだという、その言葉が玉井氏を救った。
玉井「あ、一緒なんだって分かった瞬間に、スポーツで普段やってたことじゃないですか。こういう風にやればうまくなる、これがダメだったらこれを試してみるっていうのを、どんどんやっていったら、5月病から復帰して半年で社長賞を取ったんですよ。そのときに、『あ、これはスポーツに恩返ししなきゃやばいな』と思ったんです」
仕事とスポーツは同じ。もっといえば、スポーツと人生は同じである。スポーツを本気でやってきたなら、いままで考えてきたとおりに考えれば絶対に大丈夫。それは、アスリートもビジネスマンも、双方体験したからこそ伝えられる平地氏の力強いメッセージなのだ。
スポーツにおける「反芻」を応用することによって、ビジネスの世界でも人並み以上の成果を出してきた平地氏。最終的に社内起業ではなく独立する道を選び、2011年株式会社プラスクラスはスタートした。起業から4年、念願のスポーツインキュベーション事業が始動した。
平地「立ち上げのときから、4年目からスポーツ事業をやるってずっと言ってたんですよ。で、約束通り4年目からスポーツ事業をはじめました」
彼らは社会の孤島となっている「スポーツ」の領域に、キャリア教育の概念を提唱していく。それにより、日本における「アスリートの生き方」を変えていくのだ。
スポーツの現役時代からビジネスの視点を勉強することには価値がある。スポーツと勉強には相乗効果がある。そして、それはアスリートのセカンドキャリアの選択肢を広げてくれる。
平地「これまではそのメリットを伝える人がいなかったと思います。サッカーの長友とか本田みたいに、『ビジネススキルを持ってなきゃいけないよ』って言う人もいなかった。ビジネススキルのバリューを持っていることによって、その選手のブランディングが上がったり、個人でもスポンサーがついてきたりすることがあるんです」
「スポーツをするのであれば勉強をしなくてもいい」これまでの日本のスポーツ教育は、そういうものであった。切り離された存在だった勉強とスポーツ。そんな現状は、少しずつ変わろうとしている。いま、日本のプロリーグや協会を主体として、セカンドキャリア支援に向けて現役中に選手が勉強するような新しい仕組みが作られつつある。平地氏自身、そこにアドバイザーとして参画しているという。
平地「スポーツ庁のなかでも、国としてそういう取り組みをしていった方がいいよねっていう動きに、ようやくなってきているんです」
アスリートのセカンドキャリア支援は、国やスポーツ機関の追い風を受け、少しずつ加速しようとしている。そしてそれは、今後さらに大きな意味を持つものとなっていくのだろう。
平地氏の描く未来は、アスリートに力と希望を与える。
単なるアスリートの転職支援サービスでは、問題の根本解決には至らない。だからこそ、自社に雇い入れ、一流のビジネスパーソンに育成する。スポーツの世界で「反芻」を学んできた元アスリートであれば、これまでトレーニングで身につけた習慣が力になると、平地氏は語る。アスリートがビジネスパーソンとして一人前に成長すれば、その後のキャリアの可能性は一気に広がる。
平地「(PSIで人材育成して、)そのままうちのマーケティング人財として働いても良いし、新規事業をつくってもいい。その先マーケの人材がいないプロスポーツチームに、うちで育てた人間を常駐させて、そのままマーケティング人財として提供しますよっていうことも考えています」
自由にキャリアを選択できること。それこそが、引退後のアスリートに希望を与える。「マーケティング×スポーツ」だけではなく、もっと多くの選択肢をアスリートに与えていく。たとえば、スクール運営事業もそのひとつだ。
平地「やっぱりアスリートはプレーすることに拘っている人たちは多いので。スクールはその出先として必要かなと思っています。スクールは先生だけじゃなくて、その周りを支える運営スタッフがいるし、経営メンバーもいる。合わせて選手をうちで育ててやっていけると、良い循環が生まれてくると思うんです」
「選手」としての経験を生かす場をつくり、そこで新たにビジネス経験を積んでもらう。そこで活躍した人材が社会にでていくことで、彼らの思いとナレッジが社会へと広がっていき、スポーツ産業が根底から変わっていく。(※スポーツ庁が、教員免許を持っていなくても学校のコーチができるよう、法改正に動いている。実現すれば、スクールで実績を残したコーチを、学校に講師派遣することもできるようになる。)
平地「コーチをやらせていても、ちゃんとビジネスマインドとかビジネススキルは育てつつ、その先ちゃんと校長になるかスクール長になるか、FC立ち上げてそのまま起業もできる。そこまでうちのなかで仕組みが作っていけるといいなと思うんです」
目立ちたがり屋で、野心的なアスリートたちを起業に向かわせれば強いと、平地氏は語る。アスリート魂を社会に反映させ、それが意味を生み出していく仕組みとなる。それは、スポーツの好循環を生み出すエコシステムであり、一人のアスリート人生へ好循環を生み出す社会システムである。
平地氏が描く、アスリートためのインフラとしてのキャリア構築、そしてスポーツからのインキュベーション。それは、スポーツ産業を救うフロンティアでありつづける。
2017.12.04
文・引田有佳/Focus On編集部
2013年9月、日本はオリンピック一色となった。招致委員会の活動により、2020年、東京にてオリンピックが開催されることが決定したのだ。東京での開催は1964年以来56年ぶりとなる。
いつの時代も国家をあげて熱狂の渦を創り上げてくれているスポーツの祭典オリンピック。私たちに興奮と感動をもたらし、勇気を与えてくれるこの存在は、明日を生きる活力へとつながる。今では、人類規模で「なくてはならない存在」となっているという言説も、決して大げさではない。
オリンピックは紀元前からはじまった。戦争と疫病のさなかから生まれたオリンピックは、ギリシア神話中で語られている。4年に1度、長距離走やボクシング、円盤投げ、やり投げなどあらゆる競技が実施されたという。当時の人々も現代を生きる私たちのように、興奮をおぼえていたことであろう。しかし、優勝者への過剰な褒章が問題となり、有史以前に一度歴史から姿を消すこととなる。
そして現代、フランスの教育者ピエール・ド・クーベルタンの提唱により、オリンピックは世界を巻き込む祭典として再度誕生することとなる。
スポーツをもって、世界中の人々を興奮へと誘うオリンピック。教育者であるクーベルタンが願ったものは、スポーツそのものがもたらす効果だけではなかったという。それは、スポーツを通じて人間の変革を願うものであった。
オリンピズムは人生哲学であり、肉体と意志と知性の資質を高めて融合させた、均衡のとれた総体としての人間を目指すものである。スポーツを文化や教育と融合させるオリンピズムが求めるものは、努力のうちに見出される喜び、よい手本となる教育的価値、普遍的・基本的・倫理的諸原則の尊重などに基づいた生き方の創造である。―オリンピズムの根本原則1『オリンピック憲章』より
オリンピック、そしてスポーツは人間の生き方を創り出すものなのである。それは、文化や教育を融合させることで生まれ、生き方を変えていく。私たちが活力を与えられるのも、単にスポーツの祭典であるからという理由からではないようだ。
プラスクラスとPSIの存在目的は、ただスポーツを活性化することだけではない。スポーツを通した人間形成と、スポーツにビジネスの作用をもたらし「スポーツ」の価値をその存在から高めていくことにある。
スポーツの精神から人の生き方に与える恩恵に価値を見出し、それをもって社会のムーヴメントを生み出すことを目指す。だからこそ、プラスクラスとPSIはオリンピック以上の価値をも私たちにもたらしてくれる予感がする。2020年スポーツの祭典、そして彼らが生み出すムーヴメントから、私たちはどんな未来を描いていけるのだろうか。
文・石川翔太/Focus On編集部
株式会社プラスクラス 平地大樹
代表取締役
プラスクラス・スポーツ・インキュベーション株式会社 代表取締役
1980年、東京都生まれ。2004年に電気通信大学知能機械工学科を卒業後、プロバスケットボール選手をめざし渡米したが、果たせず引退。人材コンサルティング会社を経て、2008年にWebコンサルティング企業に入社。2011年に株式会社プラスクラスを設立し、代表取締役に就任。Webコンサルティング事業を展開する一方で、スポーツビジネスのWebマーケティング支援事業を立ち上げた。2016年2月には同事業をプラスクラス・スポーツ・インキュベーション株式会社として別会社化。将来的に同社を引退したプロスポーツ選手の受け入れ先とし、キャリア支援事業へと拡大することも視野に入れている。
株式会社プラスクラス 玉井恒佑
コンサルタント
プラスクラス・スポーツ・インキュベーション株式会社 執行役員
1985年、東京都生まれ。神奈川・桐蔭学園高校では硬式野球部に所属し、甲子園出場を果たす。2008年に成蹊大学経済学部を卒業後、株式会社オプトに入社。2008年にオプトグループ会社で社長賞を受賞。2009年にオプトグループ全体で準MVPを受賞。2013年に株式会社プラスクラス入社。