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or社会に思いをもって行動するイノベーターたちは、その半生の中でどのような作品(書籍・音楽・映像など)と出会い、心動かされてきたのでしょうか。本シリーズでは、社会に向かって生きる方々にお話を伺い、それぞれの人生の“きっかけ”となった作品をご紹介していきます。
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アマトリウム株式会社 丹原健翔
代表取締役社長/美術家
1992年生まれ。東京都出身。幼少期をオーストラリアのタスマニア州で育つ。中学3年生のとき日本に帰国。灘高校を卒業後、米国ハーバード大学にて心理学を専攻する。2011年に大学を休学し、震災後の東北でボランティアとして活動する中で、アートやアーティストの世界と出会う。復学後、日米でパフォーマンスアーティストとして活動しながら美術史を学ぶ。卒業後、2017年に帰国し、日本のアートの流動性を高めることをミッションとするアマトリウム株式会社を設立した。
―きっかけとなった作品はありますか?
大学一年のときにめっちゃハマっていたCaptain Beefheart and his Magic Band(キャプテン・ビーフハート・アンド・ヒズ・マジック・バンド)っていうアーティストの、『Trout Mask Replica(トラウト・マスク・レプリカ)』という傑作アルバムがあるんですけど、いまでもよく聴いています。
ちょっと音楽としてはめちゃくちゃな曲ばかりで最初はとっつきにくくて聞きづらいんですよ。ただ、めちゃくちゃなのに実は超緻密に計算されていて。
当時録音するために、LAに小さな家を借りて、参加ミュージシャン全員を半年以上その家に監禁してたらしく、メンバーは毎日無給で14時間練習させられて、大豆とかだけ食べて集団生活してるんですよ。それで少しでも失敗するとリーダーのキャプテン・ビーフハートにガラス瓶で殴られるとかで。
流血事件とかあってメンバーがノイローゼになったり、みんなちょっとストックホルム・シンドローム*みたいな感じになって作りあげたっていう、やばいアルバムなんです(*誘拐事件や監禁事件などの犯罪被害者が、生存戦略として犯人との間に心理的なつながりを築くようになること。https://ja.wikipedia.org/?curid=79680より)。
―その作品との出会いは?またその出会いによって、どんなきっかけが生まれましたか?
ハーバード大学に在学していたころ、アメリカでノイズ音楽を流すラジオのDJをやっていたんです。ラジオのDJをやるのに、入学直後ラジオ局に入るオーディション期間があったんですよ。
何週間もかけて先輩DJの話を聞いたり、音楽批評やったりとか、実際スタジオ環境でしゃべって自分がつくったプレイリストを流してみたりとか、それを先輩DJに番組としてちゃんと音楽的になってるか評価されたりとか、いろんな審査があって。
そのオーディション初日に、キャプテン・ビーフハートの話でみんな盛り上がってて。「お前知らないの?お前そんなんでラジオオーディションやってるの?」って言われて。
調べたら、「いや意味わからないじゃん、これ」と思ったんですけど、ずっと聞いてたらなんでも頭に残るじゃないですか。ノイズ音楽もそうなんですけど、それで好きになりました。好きになるのに3カ月くらいかかったんですけど。好きになるのに時間がかかった分深く好きになれたというか。
何が好きって曲自体めちゃくちゃで、最初はアドリブ感しかないんですけど、実はこのアドリブ感はすべて意図されたもので、「アドリブ感」こそ作りだすのが一番難しいんじゃないかなと思って。
めちゃくちゃ緻密に作られていて、リズムが合っていないように聴こえたり、不協和音があったりするんですけど、その音楽の制作環境では一つ一つの音にちょっとでも思い通りではないズレがあると、ぼこぼこにされるっていう怖いところだったんですね。
―その作品から何を得ましたか?
実は「アドリブ感」って、意図して形作るとなるととても難しいということですね。一見ゆるく見えるけど深いところまで考え込んでいる、という形を実現することは、しっかり丁寧に作ることや、もっと言えば手を抜くことより全然難しい。
仕事の打ち合わせでも、親しい相手だから「話しながら決めていけばいいかな」とか思うんですけど、やっぱり親しかったりそういったゆるさが許される関係の人こそ実は細かいところまで詰めておくとうまくいったりするっていうのがあることは体験していて。ゆるさをとっても、その土台になるものは大事に作っていこうと思ったりしますね。
また、キャプテン・ビーフハートっていうのがリーダーの怖いおじさんなんですけど、自分の欲しい音が最初からかなり頭の中で決まっているからこういうことができるんですよ。周りからは「え?これ音楽なの?下手じゃない?」って思われることをやってるのに、他メンバーに8ヶ月間の過労環境を強いてまでも自分の理想からのズレに妥協しなかったことがすごい。
もうひとつすごいのは、このアルバムが出たのが1969年なんですよ。ビートルズの「Abbey Road」と同時期にこんな音楽が実はある。当時はいわゆる前衛音楽で、現代で聞いたら「こういうやばい音楽あるよね」ってなりますけど、当時最先端の録音・演奏技術を多用して作ってた。当時はもちろん売れないんですよ。でも誰が聴いてもわかる売れないアルバムを堂々と出したから数少ないコミュニティの中でカルト的な人気を博して。
いまとなっては、このアルバムも雑誌の歴代ベストアルバムランキングとかにたまに現れては、「彼は先を見据えていた」とか評価されるんですけど、先を見据えるとか、先見の明ってそういう、他人に依存しない自信のことなのかなとか思ったりしますね。人に合わせてたら先見の明は持てないんじゃないかと思います。
―ありがとうございました。
▼丹原健翔の生き方がここに |
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