Focus On
松下雅征
株式会社サイルビジネス学院  
代表取締役
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or少しだけ遠い場所まで行ってみる。その積み重ねが、人生を豊かなものにしてくれる。
「顧客体験」を起点にビジネスを前進させるAIソリューションを展開するカラクリ株式会社。同社が提供するCS業務のデジタル化推進SaaS「KARAKURI Digital CS Series」は、カスタマーサポート特化型AIによる開発・運用と包括的な体制構築支援により、CS業務の人手不足解消や顧客満足度・LTV向上などに寄与している。
2021年にはアイティクラウド社主催「ITreview Grid Award」のチャットボット部門最高位を6期連続受賞したほか、コンタクトセンター・アワード受賞企業であるニッセン、SBI証券、WOWOW、メルカリといったCS領域を牽引する企業に選ばれている実績を持つ。
代表取締役の小田志門は、サイバーパトロール・インターネットのコールセンターBPOを手掛けるイー・ガーディアン株式会社にて、取締役として営業部門、情報システム部門を管掌。創業期から上場に至るまでの成長に貢献したのち、2017年、カラクリ株式会社の代表取締役CEOに就任した。同氏が語る「無理のない世界の広げ方」とは。
CS(カスタマーサポート)領域のスペシャリストと、先端アカデミアの研究者*が1つの志のもと集い、生まれた会社。この創業背景だけでも、カラクリを数多あるAIチャットボット企業の一角と呼ぶには違和感がある。(*同社には、東京大学大学院で機械学習技術の応用研究を進めながら、機械学習の社会実装を推進する現役の研究者陣が参画している)
そもそもカラクリは何のために最先端の技術を使い、事業をつくるのか。経営の根本にはブレない信念がある。
「世の中を変えるには、テクノロジーに詳しくない人にそれを使ってもらう必要が絶対にあると思っているんです」
技術を扱えるエンジニアは、それにより利益を得ることができる。既存の枠組みに活用し、今までできなかったことを可能にするだろう。しかし、技術に馴染みの薄い人は、そこに苦手意識や偏見を抱きがちである。本来ある新たな選択肢は見えていないことが多く、そのままではせっかくの価値を享受できるようにならない。
真にテクノロジーの価値を世の中に行き渡らせ、人類を前進させるには、そんな人たちにこそ技術の価値を届ける必要がある。だからカラクリは、人に毛嫌いされるようなテクノロジーではなく、気持ちよく楽しく使ってもらえるテクノロジーを提供していきたいと考えている。
背景には、いまだアナログな部分を多く残すコールセンター業界と、小田自身が長年向き合いつづけてきた過去がある。
「そもそも昔『あるものを売ればいい』時代には、マーケティングと広告戦略、営業が割と力を持っていましたが、サービスの価値を上げるためにLTVを向上させていく必要があるという風潮が広まるにつれ、コールセンターが重要になってきた歴史があって」
社会におけるカスタマーサポート(以下、CS)に対する認知について振り返りながら、小田は語る。
「ただ、本当の意味でCSが経営にとって重要であると認識している企業って、いまだ全体の1、2%なんですよね。ゆえに、(コールセンターの)アウトソーシングの業界が1兆円もの市場規模があったりする。CSをテクノロジーで内製化する企業はまだまだ少ないですよね」
企業のCS部門を担う欠かせない存在として、重宝されてきたコールセンター。しかし、これまでの一般的かつアナログな体制においては、オペレーターが単純作業に忙殺され、離職率が高いなど構造的問題を抱えている現状があった。
仮に経営陣がCS体制を最適化することの重要性を認識したとしても、思いだけで何かを変えることは難しい。
だから、カラクリはこれからの企業に必要とされるCS体制を構築するとともに、連携するコールセンターの生産性や質を向上させる。全体を見据えた専門的なコンサルティングと技術的支援を行い、両者にとってテクノロジーフレンドリーな環境を構築しているのだ。
具体的には、カスタマーサポート特化型のチャットボットをはじめとするAIソリューションを提供し、企業のCS部門のデジタルシフトを加速させる。それにより、顧客満足度を向上させるだけでなく、ユーザーの自己解決促進やナレッジ管理を容易にするなどの効果から、オペレーターの生産性を上げ事業全体のコストを削減。さらに、蓄積データを分析・可視化することで、売上貢献に繋げていく。
ただ、問い合わせ数を減らせばいいわけではない。あくまでそこに、最適な「顧客体験」があるべきとするのが同社の考え方だ。
「5年後くらいには、(最適化されたCS部門が)重要だと半分ぐらいは思ってるんじゃないかなという思いがあって。そう思った企業たちが、いざそのカスタマーサービスを実現しようと思ったときに、必要な道具としてのテクノロジーを揃えていこうとしています」
これまで新規顧客開拓に注力し、CMなどマーケティング面に数十億単位の金額を投資してきた日本企業。しかし、今後は人口減少により、新規に開拓できる顧客のパイは必然的に減っていく。だからこそ、顧客満足度を高め、既存顧客の心を離さないCSの重要性はますます高まっていく。
海外に目を転じれば、NetflixやAmazonが既存顧客に対しての価値向上、すなわちより素晴らしいオリジナル作品製作に信じられないほど巨額の投資を行っている。その大きな流れは確実に国内にもやってくる。今、営業やマーケティング部門と同じくらい、CS部門が重要であると認識する企業は着実に増えていると小田は語る。
あらゆる企業がCSを最適化し、テクノロジーによる豊かな顧客体験を提供できるべきである。だから、そんな未来を同社は創る。
テクノロジーの価値を全ての人が享受できる社会。近い未来、カラクリは自らその世界観を体現する存在となる。
華やかな京都市街から電車で1時間弱、生まれ育った町は穏やかな野山に囲まれていた。今では市町村が合併され、南丹市として知られる場所にある。
子どもの頃は山に登って穴を掘ったり、生き物に触れたり。ひたすらザリガニを捕ることにハマって、自分で行ける範囲の水場はあらかた回ってザリガニを狩り尽くしたりもした。
当時はそれが目に見える「世界」であり、全てであるような気がしていたのかもしれない。それだけの毎日が、ただただ満ち足りていた。
「小学校の通信簿に先生の一言コメントがついたりすると思うんですけど、『もっと欲を持ちましょう』みたいなことが書かれてて。それぐらい、これはめっちゃしたいみたいなものとかはなかったんです」
欲のない子。そう言われる通り、当時は特別やりたいこともなく、まして将来に対するイメージなんて持ちようがなかったと小田は振り返る。小学校の卒業文集に将来の夢を書くときは、深く考えずにバスの運転手と書いていた。なんてことはない、隣の子がタクシーの運転手と書いていたからだ。
毎日友達と楽しく過ごせれば、それでいい。勉強もたいしてする気にならないけれど、実際周りの友達だって変わらない。当時の小田は、それ以外の世界を知らなかった。
「今の小学生とか世の中を見渡してみたりとかすると、自分自身はあまり何も考えずのほほんと暮らしていたなという思いがあって。親にああしろこうしろと言われたり、何も否定されなかったのはあるかもしれないですね。だから、子どもながらにやることなすこと割と自分で決めているというか、自分のやりたいことを自由に選んでやってきたというベースがあって」
幼少期
世界は少しずつ広がっていく。決して誇張などではなく、家から徒歩10分圏内で生活が完結していた中学時代から、高校では毎日電車で通学する生活になったのだ。目にする景色が増えるほど、知らなかったものの存在を認識するようになる。
「自分にとって大きかったタイミングは高校の文化祭で。クラスごとに劇をする決まりだったんですけど、欲がないので立候補せずぼーっと見ていたら余ったのが監督で、監督になっちゃったんですね。あれと思って(笑)」
当初は監督が何をするかも理解していなかった。どうせ名ばかりかと思いきや、全体の進行管理をしたり声をかけたりと、意外にもやることは多いと分かってくる。
揉め事が起きれば仲裁しなければならないし、監督に決断が託される場面もある。クラスをまとめるためには、それぞれの気持ちを考えながら細かい調整をしていくことも求められているようだった。
「結果的に一連の経験をしていくなかで、こういうものが面白いものなんだなと。自分で積極的に何かを動かしていくとか、皆と一緒に何かを成し遂げること自体が割と楽しいもんなんだっていう気づきがありました」
結果として、クラス劇は観客の投票により見事1位を獲得。望んだこともなかった役割だったが、意外にもその体験は今まで知らなかった楽しさや面白さを教えてくれた。
先頭に立って人と何かを成し遂げることは楽しい。
とりあえずやってみる。素直にそうしてみるほどに、欲のない自分にも新しい発見があり、それとともに新しい欲が生まれてくるようだった。
幼少期、丹波自然運動公園にて
流行りのテレビ番組の影響か、はたまた好きだった漫画や推理小説の影響か、大学受験を控えた高校3年当時には、人の心を読むような心理学という学問に興味を持っていた。
「どうせ大学に行くんだったら、自分の興味がある学問でないと確実にやらなくなるなって思ったので。心理学だけは唯一興味があってこれは面白いかもと。人の心を読めるとか、かっこいいしすごく役立ちそうと思って選びましたね」
進路は決まった。あとは、大学を選ぶだけ。要領よくやりたかったので、まず受験科目が少なく済むところに絞ることにした。
京都には当てはまる大学がいくつもある。しかし、これまでと変わらず田舎の実家から通うよりは、1人暮らしに挑戦してみたいという気持ちもあった。家から近すぎず、とはいえ遠すぎず。そんな条件を満たす大学が、大阪に1つあった。
「実際入学してみると、心を読むとか人を操るとか、そういう学問では全くなかったんですよね。ほぼ数学とか統計の話で、数学が苦手だったので最初は面食らって。『えー、はよ言っといてよそれ』という感じでした(笑)。ちょっと思ってたのとは違ったんですけど、ただやってみたらそれはそれで面白かったんです」
たとえば、消費者調査における統計の考え方や、企業がCMを作るときどんな心理が背景にあるものなのか、マーケティングに近い心理学の授業などもある。予想とは違ったが単純に興味深く学ぶことができるものだった。
勉強はそこそこに頑張る一方で、大学生活の軸足はアルバイトに移りつつあった。
大阪の中心街にあるお好み焼き屋で、来る日も来る日も熱々の鉄板と対峙する。調理スタッフとして、一生分以上と思えるほどのお好み焼きをつくっていた。
「やり始めると、めっちゃ美味いお好み焼きを焼きたい欲が出てきて。やっぱり上手い人と下手な人で明らかに見た目が違うんですよね。やるからには上手い人のレベルを超えたいというのと。店が繁盛してたので、オーダーがどんどん入ってくる。そのなかでどの順番で焼くかとか、鉄板って連続して焼けないので温度調整と鉄板の状態とオーダーの状況を見て、いかにスピーディーに美味しいものを焼くかという挑戦を、ひたすら1人でトライしてました」
最初は面白いほど上手くいかない。それでも一枚一枚、挑戦を黙々と続けていくと、途中からは兆しが見えはじめる。そして、ついには誰にも負けないレベルにまで到達する。最後の方は目をつぶっていたって焼けそうだった。
たまたま応募して採用されたアルバイト先。だが、当時の人気店だったらしい。百貨店の催事などにも駆り出され、ソースと油の匂いと自分が一体化しそうなくらい、多忙な日々を過ごしていた。
***
20歳になる頃のことだ。人生に1つ、波紋が広がる瞬間があった。
「僕が20歳くらいの時、父親が亡くなって。両親は僕が大学に入った時に離婚して、別々に暮らしていたんですけど。そのお葬式で、父の昔の知り合いに『1人で孤独に亡くなったんだよね』みたいな嫌味を言われたと母から聞いて。普段は怒るという感情からは遠かった自分が、その時だけは腹の底から『怒り』を感じたんです」
父は建築会社に勤めていた。小さい頃はよく家が建つ様子を見せに連れて行ってくれた思い出がある。あまり怒らずやりたいことを尊重してくれる、優しい父だった。父がなぜそんな風に言われなければならないのかは分からない。しかし、どんな理由があろうと亡くなった人のことを悪く言われるのは許せなかった。
「物理的には無理なので、とりあえず分かりやすく収入かなと。この人たちを越えたいという思いがすごく芽生えたんです。めっちゃ稼いで見返してやるぞみたいに」
稼いでやる。稼いで見返したい。そんな欲が、強く自分の内から湧いてきた。そんな風に思ったのは、人生で初めてのことだった。
就職活動が始まると、友人たちとは別の道を選んだ。
金融機関やメーカーのような選択肢ではない。より速く成長でき、より広い範囲を任せてもらえる環境で働きたい。そのためには、大企業よりもベンチャー企業の方が良いのではないかというイメージがあったので、その世界に飛び込んだのだ。
どうしても超えたいと思う人が目の前に現れたとき、自分の中に火がついていた。
1999年、「iモード」が満を持して世に登場し、日本におけるモバイル・インターネットの歴史が動き出したその年。新卒で入社したのは、今まさに盛り上がりつつあるモバイルコンテンツ産業を軸とする新進気鋭のベンチャー企業だった。
「当時は稼いでやるぞという思いもありながら、とはいえまぁ目の前の仕事を頑張ろうくらいのノリもあり、普通に楽しんでいたかなと思います」
新入社員としての初仕事は、社内にある人材事業部での営業だった。パンパンになるまで資料を詰め込んだ鞄片手に、大阪の街に繰り出す。目星をつけたオフィスビルまで来ると、気合いを入れて飛び込んで上から下まで1社ずつ回った。絵に描いたような飛び込み営業だ。1日100件のノルマを達成するまでは会社に帰れなかった。
そんな環境下、なかには営業という仕事の過酷さを知り、挫折していく同期もいた。しかし、小田はそうはならなかった。たしかにしんどいときもあるにはあるが、目の前のことを楽しむつもりでやってみればいい。それが昔からの持論だった。
「嫌だという気持ちはあまり浮かばないですね。とりあえずやってみるかみたいな。やってみたらやってみたで、何か起きると言ったらおかしいですけど、物事がやる前とは違う見え方になるので。まぁ、常に楽しかったかと言われればそうじゃないですけど、あんまり流れに逆わなかったかもしれません」
とりあえずやってみる。そのスタンスは昔から変わらない。やってみれば新しい見方と出会うのだから、まずやってみることに意味がある。
そうして自分の世界が広がっていくのを楽しむうちに、当初の「稼ぎたい」という欲よりも、純粋に仕事そのものに夢中になっている充実感の方が勝るようになっていった。
***
4年ほどの月日が流れた頃、会社では上場に向けた組織再編の動きがあった。
モバイルコンテンツプロバイダ事業での上場を目指す。そのために東京のとある会社と合併し、主力事業以外は売却・分割することが決まったのだ。小田が所属する人材事業部もそこに含まれ、売却対象となっていた。
これからどうするか。いくつかの選択肢が目の前にあったが、まずはひとまず自分の目で東京を見てみることにした。
「とりあえず東京に出張がてら乗り込んでいって。六本木ヒルズを観光して帰ってきたんです。六本木ヒルズの展望台に登って、これが東京かと。大阪とは違う、みたいな。それでなんか東京に行きたいと思っちゃったんですよね」
元々は大阪で転職するつもりで内定ももらってはいたものの、東京の景色を目にした瞬間、そこには心動かされる何かがあった。
新しい土地、新しい挑戦。それもいいかもしれない。
当時会社には、分社される新事業があった。携帯キャリアが運営するマッチング系コミュニティサイト、その掲示板投稿監視をアウトソーシングで請け負う事業だ。再編後は分割され、独立単体で存続することが決まっていた。
元のモバイルコンテンツの会社に残るか、今までにない掲示板監視サービスの世界に飛び込むか。
浮かぶのは、六本木ヒルズから見下ろしたあの新鮮で目新しい景色。どちらがいいかと上司に聞かれたとき、心は新しい事業にと決まっていた。
社長と自分、それから仲間はもう1人。どんな会社も始まりはそんなものだ。イー・ガーディアン株式会社もそうだった。
見知らぬ土地で、挑戦が始まった。
「まず土地感がなかったので刺激的だったのと。あとは、業態として人材しかやったことがなかったので、当時で言う掲示板監視のアウトソーシングを受注していくみたいな営業活動は、僕もしたことがなければ、世の中にもやったことある人があまりいないという状況で」
勢いよく飛び込んだ。しかし、正直ドメイン知識はあまりない状態だった。加えて、仕事を教えてくれる人もいない。テレアポをしようにも、どんなところにかければ良いのか分からない。パワーポイントすら使ったことがなく、そうしたことに逐一慣れるのに必死だった。
テレアポも訪問営業もその他の活動も、いずれにせよ地道に根気よく続けるしかない。
「市場自体がそんなに大きくなかったので、競合と同じことをやっても伸びないといことがあって。既存領域を伸ばしていく作業と、新しくできあがる産業とか業態に対して、アウトソーサーみたいな立ち位置を取っていこうとしたりとか。あと、料金体系を1席いくらとか席数で受託するケースが多かったんですけど、件数ベースに変えて問い合わせ件数に応じた課金体系を作ったりとか。そういうことをコツコツとやっていきました」
***
20代はそうこうしているうちに、あっという間に過ぎた。忙しすぎて当時流行った音楽もドラマも何も記憶に残っていないほど、事業と組織の成長に全てを懸けていた。
裏を返せば、全てを懸けたいと思える面白さがそこにはあった。
「たとえば、サイバーパトロール事業では、ネットがどんどん普及していくなかでも、いろんなネガティブな側面が出てきていたので、それを少しでも減らせるというのは面白かったですし、必要性は間違いなくあるなという思いがありました」
今までにない事業で世に必要とされること。その手触りが、たしかにある。これまで人材事業に取り組むなかでは、決して味わえなかった感覚だった。
ほかにも日々発見がある。掲示板の投稿を監視するという仕事は、コールセンターを辞めた人からの人気が高かった。電話上のコミュニケーションに疲れた働き手にとって、ネットだけを介せばよい点が魅力となっているようだった。もっと言えば、引きこもりだったような人が働きはじめの第一歩として選んでもらえるケースも多かった。
意外な形で事業が必要とされ、社会のあちこちと繋がっていくようだ。
上場目指して走り抜けた数年間。これまでにない新しい価値を創造する事業や経営のインパクトを目の当たりにしていた。
最初はたった3人から始まった会社が、数年を経て2010年に上場。現在では2,000人規模にまで拡大している。自身も取締役として営業部門、情報システム部門を管掌してきた小田は、その軌跡を目にしてきた。当時の経験は今に繋がるものだった。
「業態を広げていくなかで、いわゆるコールセンター業務にも手を出しはじめてやっていたんですけど、そこの離職率が半端じゃないんです」
今月20名雇った人員が、月末には全員辞めている。そんな事態も決して珍しいものではなかった。
「熊本出張とかよく行っていたんですよね。人辞めました、自分で行ってきますとか。しかも、各地方にコールセンターの会社って数社から10社以上絶対いるんですけど、人材の取り合いというか。働く側からしたらどこに行っても大差ないので、ここが嫌だったらこっち行こうみたいなノリでぐるぐる回るような世界観だったりして、これはきついなと」
離職の理由はさまざまだ。思っていた仕事と違った。単純作業が嫌だった。コールセンターといえば一般的にはクレーム処理のイメージが根強いが、実際は「ログインの仕方が分からない」といった電話に、来る日も来る日も対応していくことになる。
人が定着しづらく、入れ替わりが激しい。やればやるほど、コールセンターという市場の構造的課題を感じていた。
「そのタイミングでAIとかディープラーニングの技術が出てきたので、『あれ?これって自動化できるんじゃないの?』っていう思いも生まれてくるんですよね」
テクノロジーに目を向けた背景には、何よりコールセンター業務とAIとの相性の良さがあった。通常、発注元企業がアウトソーサーに業務委託しようとする場合、業務の品質基準を保つためにマニュアル化したり、複雑性を低くして定型化することが求められる。
AIにとっては、定型化された業務は最も得意な分野だ。
目の前にある課題に対し、技術をかけ合わせる。やってみる価値がありそうだった。
小田の背中を押したものはそれだけではない。上場後、事業を拡大していくなかでは反省もあった。買収され、子会社となった人材系企業の代表取締役を務め、結果を出せなかったたことだ。
「正直あまりやりたくてやった訳ではなくて、とりあえずやるかみたいなノリでやっていたんですけど、やっぱりとりあえずやるかくらいの気持ちで1社経営をするっていうのは難しいと思ったんですよね。経営ってノリだけではそんなに上手くいかなかった」
一事業であればまだ良かったかもしれない。しかし、思いもあまりない企業の舵を取る。それでは、経営において成果は出ないのだと痛感させられた。
「会社と株主に迷惑をかける結果になってしまったので、これは大反省だなという思いがあって。どうせ自分でコミットしてやるんだったら、心から自分がやりつづけられる、常に考えつづけて苦にならないというか、自然体でやれるみたいなものにしようと思ったんです」
興味関心があり、心からやりたいことは何か?どんな領域なのか?
これまでの人生を振り返ってみると、それは数人で始めた企業を上場させ2,000名規模にまで拡大させてきたことであるように思えた。その過程にもう一度挑戦してみたい。一度は失敗した「経営」を、今度こそ成功させてみたいと思った。
2017年10月、カラクリ株式会社として本格的に始動する。
とりあえずやってみよう。ごくありふれた小さな一歩が、起業という大いなる挑戦へと繋がった瞬間だった。
Sub Story 起業から現在までの道 2016年当時、創業初期のカラクリは、経営陣それぞれが週末起業のような形でゆるく集まるところから始まった。キーワードは「チャットボット」。開発はCTOの中山に一任し、ほかのメンバーで企画や案件獲得を担った。「チャットボット」と一口に言っても、営業代行からエンタメまでさまざまな用途があるなかで、最終的には汎用性が高く、何より小田のバックグラウンドでもあるカスタマーサポート領域に絞られていった。 ビジネスモデルも「SaaS」と決め、いよいよ本格的にサービスを世に出す。当初はユーザーに無料で使用してもらい、良いと思ってもらえれば課金してもらう契約体系とした。月額料金も今より大幅に安く、1万円以下のプランを用意したという。 しかし、これが失敗のもとだった。AIチャットボットを運用開始する際の教師データの準備や登録作業、その他諸々の設定をユーザーだけで終えられた企業はいなかったのだ。ただプロダクトを使ってもらうだけでなく、その前後の運用体制まで含めた支援が必要とされている。それを実現するには、料金体系を大幅に変更しなければ、売り上げが立たないことは明らかだった。 賢く質の高いサービスをつくり、きちんと継続的に価値を感じてもらう。そのために料金を大幅に改定し、リブランディングを実施した。以来、金額に見合うサービスとして満足いただいてきたからこそ、カラクリは現在の形へとたどり着いている。 |
Googleで働くか、名もなきスタートアップ企業で働くか。あなたなら、どちらを選ぶだろうか。
かたや人類史の転換点とも言えるテックジャイアント。かたや虎視眈々と社会に革新をもたらすことを目論む小さな挑戦者。どちらかと言えば、前者に憧れる人の方が多いことだろう。
それでもスタートアップ企業を薦める理由について、小田は語る。
「自分の能力が1ミリも変わらなくても、スタートアップに来たら自分の影響力の幅が一気に増える。それを楽しんでもらいたいというか、その面白みを知ってほしいみたいな思いがありますね」
前例のない問いと対峙し、考え抜き、創りあげたものに対する反応がダイレクトに社会から返ってくる手触り感。企業ブランドとしての価値ではなく、自分という存在が介在する価値を明快に証明してくれるもの。そこにスタートアップ企業ならではの面白さがあり、刺激に満ちた環境がある。
同時にそこでは、目まぐるしく変化する環境を体感することにもなるという。
「社外も社内も変化が激しいですよね、スタートアップって。人が急に増えたりとか、人が急にたくさん辞めたりとか。そういう変化を楽しみたいというか、刺激の中に身を置きたい方はすごく向いていると思います」
変化という名の刺激の少ない人生か、刺激の多い人生か。どちらを良いと感じるかは志向性の問題にもなってくる。ただし、人生という単位で考えた場合、刺激の一つひとつが意味を持ち始めると小田は考える。
クラス劇の監督を務めなければならなくなった時。見返したいと強烈に思う人が現れた時。モバイルビジネスの荒波に揉まれた時。それらは全て、小田が意図して選んだ経験ではない。むしろ予想できる範疇を大きく超える出来事ばかりだった
変化はときに予想もつかない形で訪れる。
その時、いかに変化を受け止めるかによって、人それぞれの世界は形作られていく。
「スタートアップって『今までにない』とか、ゼロって意味じゃなく『今までのやり方じゃないやり方』とか『今までにない組み合わせ』が重要なんですけど。今までにないことに対しての興味とか、それをやってみて楽しかった楽しくなかったっていう後味みたいなもの。その積み重ねが、自分の人生を豊かにするんじゃないかな」
前例のない変化が、人生にどんな意味をもたらすか。それはあくまで予想することしかできない。その意味を本当に知ろうと思うなら、結局はやってみるしかないのだ。
予想通りでも、予想に反していたとしても、いずれにせよやってみた先には新たな見方や感じ方がある。だからこそ、新しい選択肢が浮かんでくるようになる。
今までにないことに否が応でも触れざるを得ない環境で、そこにある流れに身を任せてみるのも悪くない。きっと人生というものは、そうしていくうちに予想もつかない面白い場所へと道が拓かれていくのだろう。
視界を広げ、常にその先へ繋げる生き方がここにある。
2022.1.19
文・引田有佳/Focus On編集部
淡々としていると評されることもあるという。その実、小田氏は目の前のことをかなり楽しんでいる。むしろ見知らぬ世界に足を踏み入れるときは、いつもそうだった。
京都の田舎を駆けまわっていた少年時代から現在に至るまで、無理のない範囲で世界を広げつづけてきたと小田氏は振り返る。起業という、一見すると大きな挑戦のように思える一歩だって、そうして目の前の世界を自然に、そして少しずつ広げてきた延長線上にあったもののようだった。
逆に言えば、必ずしもいきなり明確で高い理想を掲げ、それを実現するべく奮闘する必要はないのだと分かる。ある日少し先の隣町まで足を伸ばし、まっさらだった地図を埋めるように。
世界は少しずつ広げていくことで、十分に大きくなる。少なくとも、起業という挑戦に漕ぎ出せるくらいには。
どんな結果であれ、やってみるまでは知らなかったことを素直に受け止めることで、見えていなかったものの存在を認識できるようになる。選択肢が増え、それを自らの意思で選択できるようになる。自分の中の欲や興味関心と向き合うほどに、心からのぞみ自然体で力を発揮できる環境が分かるようになってくるようだ。
楽しかったとか楽しくなかっただとか、経験の「後味みたいなもの」の積み重ねが人生を豊かにしてくれると小田氏は語る。
だから、とりあえずやってみるには価値がある。
はじめは欲がなくてもいい。ただ、どんなときでも、今より少しだけ遠くへ歩みつづけたい。
文・Focus On編集部
カラクリ株式会社 小田志門
代表取締役CEO
1980年生まれ。京都府出身。2007年よりサイバーパトロール・インターネットのコールセンターBPOのイーガーディアン株式会社にて、取締役として営業部門、情報システム部門を担当。インターネットサービスやゲームアプリなどのコミュニティのモニタリング・パトロールや、コンタクトセンターサービスの提供などに従事。2017年10月にAIビジネス開発を支援するカラクリ株式会社のCEOに就任。