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沖有人
スタイルアクト株式会社  
代表取締役
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or深く深く思考をつづけ、行動を止めないこと。大切にすべき基本はいつも変わらない。
技術を必要とする大企業と、日本各地に点在するニッチな優れた技術をもつ中小企業などをマッチングする、ものづくりに特化した日本最大級のプラットフォーム「Linkers(リンカーズ)」。日本のオープンイノベーションを促進する同サービスを運営するリンカーズ株式会社は、2013年10月のサービス開始以来、新たな産業を創出し、地域経済のみならず日本経済の活性化に寄与してきた。「日本イノベーター大賞2015優秀賞(日経BP社主催)」など多数の賞歴をもつ、同社代表取締役の前田佳宏が語る「挫折から得たもの」とは。
夜中に飛ばしたロケット花火。隣の家のガラスを割ったゴルフボール。小学生のころは悪ガキで、親にも先生にもよく怒られた。授業でやり方を教えられる勉強よりも、自分の頭で考える遊びの方が、比べものにならないほど面白い。何より自分のやり方を信じ、人の話を聞かなかった。本当に大切なことに気づくことができたのは、大人になってからだった。
ものづくりにおける産業構造を転換し、より多くのイノベーションが生み出される社会を創るリンカーズ株式会社。日本最大級のものづくり系マッチングプラットフォームを運営する同社は、全国の産業支援機関と、守秘義務契約を結んだ産業コーディネーターとの連携により、全国の受注候補企業を網羅的に探索することを可能にしている。2015年5月には、米国シリコンバレーにて海外拠点となる子会社「Linkers International Corporation」を設立し、国内外をつなぐ新たな技術ネットワークを構築しつつある。
同社代表取締役社長の前田氏は、学生時代に稲盛和夫氏の著書に感銘を受けたことをきっかけに、新卒で京セラ株式会社へ入社。携帯電話に用いられる電子部品の海外営業に6年半ほど従事したのち、「もっと世の中にインパクトを与えられる仕事がしたい」という思いから株式会社野村総合研究所へ転職。大手製造業向けの事業戦略、M&A戦略立案などを担うなか、そこで感じた産業の課題を解決するべく、2012年、Distty株式会社(現リンカーズ株式会社)を創業した。
「挫折を経験すればするほど過信がなくなってきて、簡単にはうまくいかない、きちんと課題を捉えてからやらないとうまくいかないということが分かってきたんです」
挫折を乗り越え、過信をなくしてきたからこそ手にできた信念は本質であった。信念をもとに挑戦をつづけてきた前田氏の人生に迫る。
日本全国には、およそ43万社のものづくり企業があるといわれる。国内外の競争にさらされ、次々と潮流が変化する時代のなかで、いかに付加価値の高い新製品、新技術、新事業を生み出せるかにより、その産業の盛衰は決まる。日系企業の売上に占める新規事業比率は、米国や中国の半分以下であるといわれる現在、不足するリソースを一から開発するよりも、外部から獲得し、できるだけスピーディに製品を開発していくことが重要となる。
「パートナーとなり得るような条件に合う企業はほんの数社しか存在しないか、いざ探索しようとしてもなかなか見つからない。そこには、技術を保有する中小・ベンチャー企業や大学が、うまくシーズ情報を開示できていないという現状があります。たとえ開示されていたとしても、何万、何十万と存在するシーズの中から最適な選択肢を検討することは非常に難しいですよね」
企画された商品が量産にいたるケースは、大手企業でさえ全体の5%に過ぎないという。これまでは大手企業が難度の高い商品を企画しても、それを実現する技術をもつ中小企業を網羅的に探すことは不可能だった。アイディアを形にするための最適なパートナーとの出会いが、多くのイノベーションを創出し、業界全体の生産性を最大化すると、前田氏は語る。
「Linkers(リンカーズ)」は、日本最大級のものづくり系マッチングプラットフォームである。主に大企業である発注企業と、優れた技術や製品をもつ中小企業をマッチングする。全国各地の「経済連合会」など産業支援機関、国内すべてのハブ企業と連携した同サービスは、それぞれの地方企業を熟知し、独自のネットワークをもつ産業コーディネーターたち「人」の力と、情報を網羅するプラットフォームとしての「Web」の力を組み合わせることで、これまでにない価値を創出する。同サービスは、トヨタ自動車や富士フイルムなど、名だたる大手企業の利用実績を誇る。
日本の中小企業が培ってきた卓越した技術は、技術が盗まれるかもしれないという懸念などから、これまでネット検索や展示会など表に出てこないものが大半だった。リンカーズは、ものづくり産業における閉鎖的構造を塗り替え、数多くの新製品や新事業が生み出される社会を創る。それは、日本の産業界全体にとって大きなインパクトとなる。
「私が人生をかけて成し遂げたいのは、産業を変えるということです。それはつまり、世の中を豊かにするということ。いわゆるものづくりとか産業構造がよくなれば、世界も豊かになりますから、住んでいる人の生活も豊かになる。企業の存在意義というのは、社会貢献だと思っています」
ものづくりの産業構造を変えること。世の中に大きなインパクトを与え、人々の生活を豊かにし、より多くの人々に喜んでもらうこと。それこそが、一番のやりがいである。リンカーズは、日本が誇るものづくりの未来を力強く支え、産業を新たなステージへと導いていく。
豊かな自然に囲まれる福井県福井市。車で40分ほどの距離には、厳しくも美しい荒波を見せる日本海があり、内陸側には、彩り移り変わる四季を見せる山々がある。自然が大好きだったと語る前田氏。見たこともない景色、世界、感覚が、幼い前田氏をつつんでいた。温暖多湿な気候に恵まれ発展した繊維産業をはじめ、眼鏡や漆器など、古くからのものづくりの伝統が息づくその土地で、前田氏は機屋(はたや)を営んできた一家の次男として生まれた。
時代とともに機の市場が限られていくなかで、父は代々つづく伝統的な機屋ではなく、繊維を使った新しい事業をつくる必要があると考えていた。前田氏が1歳のころに会社を立ちあげた父。はじまりは、田んぼの中にたたずむ小さな小屋のようだった。1代目社長が直面する創業の苦労は、2代目3代目の比ではない、と父の姿を振り返り語る前田氏。
苦労に立ち向かう父の姿は「厳格」そのものだった。事業拡大に心血を注ぎ、自分にも従業員にも厳しい人だった。同時に、子どもたちの成長へも心血を注ぎ、家族にも厳しい人だった。
「父親は相当厳しくて、母親にも怒るんですね。当時福井県とか田舎っていうのは、姑さんと同居するのが普通だったんですけど、父も姑さんもものすごく厳しいんですよ。だから母親は相当苦労していたんじゃないかなと思っていて」
祖父母夫婦に夫と2人の息子。毎日6人分の食事をつくり、子ども2人の世話をする。いま思えば、母はかなりのプレッシャーを抱え手一杯だったのだろうと、前田氏は振り返る。厳しい父とは対照的に、母は子どもに優しく、あまり細かいことで怒るようなことはしなかった。その母に甘えてか、前田氏は自由奔放な性格に育った。
親の言うことを聞く真面目な兄は成績優秀。対して前田氏はおとなしく勉強していることができなかった。それよりも、自分の感性に従って外で奔放に遊んでいる方が好きだった。
「小2くらいからスキーをやっていて、けっこう一人でスキー場に行ったりしていたんですよ。一人でスキー板かついで電車に乗って。親は忙しいのでなかなか連れて行ってくれないんですね。だから友達のお父さんに連れて行ってもらったり、自分で行かせてくれって言ったり。相当好きだったんですよ、いまでも行くので、もう30年くらいやっていますね」
スキー板とともに雪山の頂上に登る。晴れた日にそこから見える景色が、何よりも好きだった。普段は吸えない空気があり、普段は感じられない風がある。勢いよく滑り降りる快感は、日常の疲れも吹き飛ばす。日常から離れ自然のなかに身を置くと、大いに五感が刺激される。
自分の感覚に素直であったからこそ、他人の言葉よりも、自らのフィーリングを信じるようになっていったのかもしれない。小さいころはとにかく自由な子どもだった。さまざまなことに興味をもち、一つのことに集中できない。自分が行きたいと思えば、電車を乗り継いで一人ででも出かけていく。物心ついたときから、人の話を聞くことができなかった。
「人が話しているとき、まったく別のことを考えていることとかあったかもしれないですね。だから、いろいろミスったりしますよね。体操着で学校に来いと言われているのに、私服で行ったり、中学校の入学式に小学校の内履きを持って行ったりとか。これでいいだろうと、勝手に自分のなかで考えてやっていたんだと思いますね」
学校の授業を受けていても、先生の話が耳に入ってこない。勉強もせずにやりたいことを勝手にやってしまう。ソフトボールクラブの合宿では夜中にロケット花火を飛ばしたり、家の庭でゴルフクラブを振って隣家のガラスを割ったり。もともと目立ちたがりな性格だったことも相まって、人の言うことを聞かない典型的な悪ガキだったと前田氏は振り返る。
「自分のやり方を一番に信じる。それは良かったと思うんですけど、人の話を聞かないっていうのはいずれ問題になってくるんですね。一方で、我が強いというのは一つ強みなんです。一つの強みと決定的な弱みを兼ね備えていて。人の話を聞かないっていうのは、決定的な弱みなんですよ」
他人の言うことよりも、自分のやり方を信じて我が道を行く。だから授業も聞かなかったし、成績も悪かった。何回教えられてもまともに聞いていないので、父にもたくさん怒られ、うまくいかないこともたくさんあった。けれど、自ら見て聞いたこと、感じたことを前田氏は何よりも信じていた。誰かの意見に従うのではなく、自分の頭で考える。そうして積み上げてきた人生だった。
小学校の卒業文集に書いた将来の夢は、社長になることだった。中小零細企業を経営し、出張で全国を飛び回っていた父。あまり家にはいなかったが、たまの日曜日に会社に連れて行ってもらえば、見るたびに会社が大きくなっていくのが肌で感じられた。従業員が増え、建物が大きくなり、社長室ができる。厳しくもたくましい、父の姿に憧れた。いずれ自分も社長になりたい。そして成功したいと、前田氏はなんとなく考えるようになっていた。
公私ともに厳格だった父は、子どもへの教育に関しても同様だった。勉強にも友達との付き合い方にも厳しく、成績に関してはよく注意されていた。厳しく負けず嫌いな性格もあり、前田氏が友達に何か言われるようなことがあれば「もっと言い返せ」と怒った。
「友達と遊んでいて、いじめられるという訳ではないですが、いろいろ言われたりしたら『言い返せ』と言うんですよ。『なんでそんなに負けてるんだ。もっとお前言い返せ、負けるな』みたいな。いまはすごく丸いんですけど、当時はそんな感じで、しょっちゅう殴られてました」
そんな家庭環境で育った前田氏に、いつしか負けず嫌いが染みついていた。小学校時代からはじめたソフトボールでも負けたくなかった。家では自分なりの方法を考えて一人練習を重ねていき、誰よりも実力をあげていた。そんな姿を見られていたのか、コーチからキャプテンに指名されるほどであった。
一方で成績に関しては、授業を聞かないために6年間ひどい有り様だった。見かねた母は、前田氏が中学校に上がると、勉強の特訓をしてくれた。最初の試験で良い結果を残せば自信がつくだろうと考えたようだった。
「最初の試験前の1ヶ月間は、母親がずっと横について指導してくれたんですよ。その特訓のおかげで、最初の試験ではほとんど95点とか100点だったんです。そこからやっぱり自信がついて、マインドが変わっていったんでしょうね。一人で勉強するようになって。学年300人中何番とか、たぶん順位が出ることもモチベーションになったんだと思います」
最初に自信がついたからこそ、あとはその高みにむけて自分なりに勉強を重ねるだけで良かった。中学ではトップの成績を維持できていた。家族からのサポートのほかに、学校では常に切磋琢磨できる4人の仲間もできた。試験の順位を競い合い、足りないところは教えあう。当時、福井県の高校入試に導入されていた学校群制度で、県内トップの高校をともに目指すクラスメイトたちだった。良い高校に入り良い大学へ、誰もがなんとなく描く成功を手にしようとするならば、選択肢は県で一番の高校に入るしかなかった。だからこそ、勉強に打ち込んだ。
「努力して勉強すれば成績に反映されるっていうのが面白くて。家に帰ると褒められますし、何も言われなくなりますし。あとはやっぱり、友達との競争ですよね。小学校のときはなかったように思うんですけど、競争心がすごく芽生えはじめたんですね」
努力の成果が分かりやすく数字で表れる勉強は、負けず嫌いな性格に火をつけた。競争に勝ち、トップになれば目立つこともできる。相変わらず授業は聞いていなかったが、一人家で熱心に勉強するようになった前田氏。それにより自信もついていき、中学では生徒総会の議長や、部活のキャプテン、さまざまな委員会の委員長を務めていった。自分なりのプランを組み立て、いろいろな人を巻き込みながら進めていくことが面白かった。仲間とともに過ごす毎日のなか、当時はただ、なんとなく将来の成功を望みながら日々の努力を重ねていた。
昔から数学が得意だったので、大阪大学工学部へと入学した前田氏。大学時代は、家庭教師のトライの営業のアルバイトに夢中になり、ほとんどの時間を費やしていた。
「最初は家庭教師のバイトをやっていたんですけど、営業の方が頭を使うので自分の強みを活かせるかなと思ったんですよね。営業ってやっぱり成果が数字で出るのでモチベーションになりますし、けっこう喋るのも好きだったので。営業っていろんな家庭に訪問して、いろんな話ができるじゃないですか。あとは、トライの募集の窓口の人がすごくきれいな人だったので、一緒に働きたいなって(笑)」
大阪中を飛び回り、最終的には1000軒近くの家庭を訪問したという前田氏。正社員も合わせ100人ほどいた営業のなかで、トップ3に入るほどの成績を残した。好成績のきっかけは、当時たまたま周囲に薦められて読んだ京セラの稲盛和夫氏の著書『成功への情熱』だった。それまで前田氏がなんとなく追い求めてきた成功への道筋を、最もシンプルに、かつ力強い言葉で説明してくれているものだった。
「これはすごいなと思いました。すべてマインドだと思ったんですよ。人生にはやっぱり哲学がないとだめだと。一番記憶に残ったのが、『人生の結果というのは”熱意×能力×考え方”だ』という一節です。これはたぶん仕事だけじゃなく勉強にも当てはまるだろうと考えて、まずはそれを営業先のお母さんに説明していたんです。精神論で営業していたんですね」
稲盛氏が説く人生哲学のフレームワークは、勉強にも応用できる。「熱意×能力×考え方」というフレームワークに則れば、能力が低かったとしても、熱意を持てば結果は良くなる。熱意をもって勉強をがんばれば、結果的に成績も上がっていくはずだ。
「情熱さえあればお子さんの成績は絶対に伸びる。情熱があるのならば、あとは正しい考え方さえできれば成績は伸びるという説明の仕方をしていたんです」
同時に、勉強の成果を上げるための時間の使い方のフレームワークも考えた。与えられた勉強時間を100とすると、そのうち100を得意な科目に使ったとしても、5教科に20ずつ使ったとしても達成感は変わらない。どちらの場合も「すごく勉強した」と感じてしまうのが、人間の心理であると前田氏は考えた。そうであるならば、95点を100点にするための勉強に時間を使うのではなく、60点を80点にもっていくための勉強に時間を割いた方が良いはずだ。
2時間の営業訪問中に子どもを徹底的に分析し、最適な時間配分を提示する。フレームワークに沿って時間配分を考えれば、子供の成績も上がっていく。ほかの営業はそこまで説明しなかった。契約が取れれば、今度は家庭教師にも子供の勉強の進め方を伝えていくことで、さらに勉強効果があがる。平均60%程度といわれた営業の契約率は、前田氏の場合97%にまで達していた。
成功するために、自分なりの方法を考える。問題解決に至るロジックを考えて、誰もが使えるフレームワークにする。フレームワークにし、言葉にすれば、明快に周囲を良い方向へ導くことができた。良い成績も、人生の成功も、必要なものは熱意と考え方と能力である。人を導く稲盛氏のフレームワークは偉大であった。
営業で成功できた前田氏。なんとなく描いていた将来の「成功」を稲盛氏の哲学により実感することができた瞬間だった。
稲盛氏の哲学の意味を身をもって経験した前田氏は、稲盛氏そのものに心酔していった。同時に大きな自信を得た前田氏は、大学院に進学するよりも、早く社会に出たいと考えるようになっていた。なんとなく描いてきた成功をいち早くつかむために、2年間を研究に使うのではなく、自らの視野を広げるために使いたい。そして何よりも、稲盛氏の真髄を本から学ぶだけではなく、我が身で体感したかった。
人々のあいだで広く読まれつづけている稲盛和夫氏の著書。そこに前田氏が感銘を受けたのは、人にとって当たり前の基礎がシンプルに記されていたからだった。
「稲盛さんの考え方は、当たり前のことを当たり前にやるということなんですよ。すべてが当たり前なんですよね。一切バイアスがかかっていない。『熱意×能力×考え方』なんて、がんばれば結果が良くなるというのは、人間として当たり前の考え方で。それを見える化して、フレームワークにしているという点が、ほかにはあまり無いと思うんです」
基本を重要視するのは、堅実な父も同じだった。小さいころ父が勉強を教えてくれるときは、いつも教科書だけでいいのだと言われてきた。基本に忠実であること。人として当たり前のことを当たり前に成すこと。それは決して簡単ではないのだが、フレームワークとして言葉にすることで、誰もが使えるものとなり、理解もしやすくなる。
同じようにフレームワークを扱う本のなかには、著者の感情などバイアスがかかっているものもある。誰かのバイアスがかかった本は、理解はされても共感は生まれづらい。稲盛氏の本は、あくまでも中立的に、感情を入れることなく書かれている。だからこそ、多くの人に読み継がれる名著として、いまなお評価されているのだろうと前田氏は語る。
大学時代、稲盛氏の本を読みあさったという前田氏。次第に、その哲学をどこよりも体現している組織、京セラ株式会社で働きたいと考えるようになっていた。
「読み進めるうちに、いろんな人生経験を積んでいくなかで、やっぱり立ち返るべきポリシーがあるべきだと思ったんです。稲盛さんのすべてのフィロソフィーというのは、たぶんポリシーになるんですよね。ポリシーがあると、生きていく上で立ち返ることができるので、すべてが良い方向に必ず行くと。それをポリシーにできる会社、自分の潜在意識にまで落とし込める会社というのは、やっぱり京セラだと思ったんです」
理系の同期のほとんどが大学院へと進学するなか、一人前田氏は就職する道を選んだ。材料工学を学んでいたので、素材メーカーを中心に3、4社を受けていたが、京セラから内定が出た時点でそのまま入社を決めた。営業としていち早く社会に出たい。自ら信じる道を迷いなく進む前田氏がいた。
京セラでは、6年半海外営業に従事することとなった。仕事の基礎をたたき込まれると同時に、企業文化として反映されている哲学を身をもって経験し、糧とすることができたが、飲み会のパフォーマンスで営業成績が左右されたり、すでにできあがった仕組みの中で組織の一機能を担うことに疑問を感じるようになり、転職を考えるようになった。
「世の中に大きなインパクトを与える仕事がしたい」と転職先はコンサルティングファームを志望し、仕事のかたわら1年ほど図書館に通い、独学でフェルミ推定などのフレームワークを学んでいった。しかし、転職活動では挫折を味わうこととなる。
「16社くらい落ちました。なかなか東京に出張できなかったこともあって、結局転職するまで1~2年かかったんです。フェルミ推定が難しかったのか、ちゃんとした考えを持っていなかったのか、とにかくうまくいかないんだなと、そこは挫折になって」
2年がかりの転職活動ののち、野村総合研究所に転職する。京セラ時代の経験もあり、すぐにアウトプットを出すことができた。そこでは、いまも大切にするフレームワークを学んだ。
「『GISOV』というフレームワークがあるんですが、目標(Goal)があって、そこに到達するための課題(Issue)があって、課題を解決するための解決策(Solution)があって、それを実行し(Operation)、成果(Value)を出す。このなかで一番大事なのは、Issueなんですね。Goalは誰でも設定できるんですけど、Issueを間違えると、Solutionを間違えるんです。つまり、学生時代授業を聞かなかったころの私に当てはめると、実際のIssueが100あったとして、たぶん20くらいしか無かったんじゃないかと思います。じゃあ残りは何かというと、『過信』なんです」
学生時代から一度もまともに授業を聞かず、人の話を聞いてこなかった自分にあったのは過信以外の何ものでもなかった。問題解決において、最も大切にされるべきものはIssue(課題)である。正しくIssue(課題)を把握して初めて、Solution(解決策)が見えてくる。コンサルタントの仕事はIssue(課題)をヒアリングすることであり、何を置いても、まずは人の話を聞くことからのスタートとなる。人の話を聞くことの重要性を軽視してきた自分に、そのときやっと気づくことができたと前田氏は振り返る。
製造業を中心として、営業・マーケティング戦略や事業戦略立案、欧米・アジア企業のM&A戦略立案・実行支援など数多くのプロジェクトに参画した前田氏。ものづくり産業の抱える課題を強く認識するようになったことをきっかけに、起業を志すようになっていく。世の中を変えるための手段として「社長になる」という選択をした。
2012年、前田氏は日本の産業の流動性を高めるため、Distty株式会社(現リンカーズ株式会社)を創業した。しかし、当初考えていた事業はことごとく失敗したという。人生で2度目の挫折だった。
「いろいろな挫折を経て、ようやく過信しないようになったんですよ。どんどん過信しないようになって、Issueを本当に捉えられるようになってきたんです。転職活動での挫折、起業してからの挫折。そういうものを経験すればするほど、過信がなくなってきて。簡単にはうまくいかない、ちゃんと課題を捉えてからやらないとうまくいかないということが分かってきたんです」
現在、リンカーズの中核を担うビジネスマッチングプラットフォーム「Linkers」のビジネスモデルは、起業してから3度目の挑戦だった。1度目はビジネスSNS、2度目はWeb展示場の事業を構想し、いずれも失敗に終わった。日本のものづくりの産業構造を変え、未来へとつなげていくために。前田氏は確固たるフィロソフィーを胸に、幾度もの失敗と挫折を乗り越えてきた。その挑戦は多くの人や企業をつなげ、後世に残るようなイノベーションを創造していく。
野村総研時代のアメリカ出張にて。前田氏(写真中央)と同社副社長の加福氏(写真左)。
大切なことは、自らの体験の中から見えてくる。リンカーズを創業し、幾度もの失敗と挫折を経験したなかで前田氏が見出したものの一つ。それは、「時間」についての考え方である。
「私は無駄がすごく嫌いなんですよ。いかに無駄をなくすかというところで、そんなに家の中が広いわけじゃないですけど(笑)、たとえば家の中の行動もすごく無駄を省いているんです。会社に行くときにいろんなものを鞄に入れないといけないじゃないですか。往復する回数を考えるんです。洗面所からリビングに行くなら、ちょっと寄ってPCも持って行こうとか」
行動の無駄を一切省くことで、限られた時間で最大限の生産性を実現することができる。ただし、何を無駄とするか、一概に測ることは難しい。時間を消費する行動に対し、将来得られるもので考えるという。
前田氏は来客時以外、オフィスではエレベーターを使わずに階段を使う。階段の上り下りにより足腰が強くなれば、体力がついて風邪を引きにくくなる。階段を使っても、エレベーターを使っても、時間的に大きな差があるわけではない。そうであれば、オフィスまでの昇り降りの時間は体力を養う時間とすべきだ。家の中での10数メートル分の距離では足腰を強くはしない。だから、短くするべき時間なのである。長いスパンで俯瞰してみたとき、その時間が後に活きるかどうか、その判断をすることが重要になる。
「どのくらいリターンがあるか。いわゆるROI(Return On Investment)*でいうIはお金だけじゃなくて、時間なんですね。社内ではどちらかというと、ROTI(ロティ)(Return of Time Investment)と呼んでいるんですが、時間あたりどれくらいのリターンが得られるかという視点で考えるんです」(*投資したコストに対して、どれだけの利益を得られるかを測る指標のこと。)
半年、1年、5年と中長期のスパンで見たときに、その作業は無駄ではないか。ROTIに反していないかという見方をする。言語化し、フレームワーク化することで、社内の共通ルールとして誰もが使いやすくなる。
「たとえば、投資する時間を横軸、リターンの大きさを縦軸にしたマトリックスの4象限で業務の優先順位を考えるんです。これを見ると、少ない時間で大きなリターンを得られる仕事(A)をやるべきなんですよ。じゃあ、ここにくる仕事は何なのか。逆に、長い時間を費やしてほとんどリターンを得られない仕事(D)は何なのか。それぞれ書き出すということをやるべきなんです」
たとえば、その仕事はどのくらい売上につながるのか。どのくらいお客様からの回答が得られるのか。プロジェクトごとにチームで議論しながら、仮説ベースで数値化し、4象限に当てはめていく。ルール化してしまえば、少なくとも長い時間を費やしてほとんどリターンを得られない仕事(D)をしてしまうことはなくなるだろう。ルールの習慣化が重要となる。
前田氏の考え方の原点にあるのは、稲盛氏が提唱した京セラフィロソフィーのうちの一つ「売上を最大限に、経費を最小限に」という言葉である。最小限のコストで、最大限のリターンを得られる方を選択する。フレームワークはあくまで手段であり、やり方は自由である。だからこそ、より良い解答を見出すべく、考えつづける習慣が必要となる。
「やっぱりやりつづけることがすごく重要だと思うんですね。起業家になると、正直余暇って作れないですよね。私も365日24時間、寝る間際まで仕事のこと考えてしまうんです。でも逆に、その状態にならないと事業はうまくいかないと思っていて。面白いことに人間って、考えつづけているとひらめくんですよね。思考の量が多ければ多いほどひらめくんです。積み重ねなんですよ」
新規事業でスキームを作り上げるときも、考えつづけているとふとひらめく瞬間が訪れる。最初からすべてのやり方が分かっている人などいない。道なき道を切り拓くためには、答えのない問いを考えつづけること。たとえ失敗したとしても、やりつづけること。それによって、初めて気づくことができる本質的なイシュー(課題)がある。
誰かの声に耳を傾けることももちろん大切であるが、自らの心へ問いかけつづけることを怠るべきではない。人として当たり前のこと、経営の基礎、生きる上での基本に忠実に、前田氏は未来を切り拓いていく。
2018.05.28
文・引田有佳/Focus On編集部
第二電電(現・KDDI)の千本倖生氏をはじめ、多くの経営者が稲盛和夫氏の経営者としての生き方に影響を受けてきた。その著書の数々は海外でも19ヶ国語に翻訳され、稲盛流の経営哲学は国内のみならず、いまや世界中に広がっている。稲盛氏が自ら塾長を務める経営者のための勉強会「盛和塾」も、その会員の半数が日本国外にいるという。
事実、中国ではいま、「稲盛熱」と言えるほどの稲盛氏への熱狂が一部経営者の間にあるようだ。2000年以降の急速な経済成長に伴い、事業投資を続け、中国の経済発展とともに事業を成長させてきた中国の経営者たち。彼らは一時期までの成長を、ただ事業を前に進めるだけで成しえてきた。しかし、2010年前後からの経済低成長に伴い、それまでの経営に立ち止まっているのである。これまでのように「ただ前に進む」だけでは、もはや事業は成長しない。儲かるために手当たり次第に前に進めるのではなく、経営における哲学、人間としての哲学を踏まえ、理念や目標を掲げた事業運営の必要性を感じているのである。
時代の流れや稼ぐための技術によって、一定量の成長はできるかもしれないが、継続的に成長しつづけるためには経営哲学が必要である。そう身をもって経験した経営者がいるのである。
ここに、京都大学経営管理大学院において設置された、京セラ経営哲学寄附講座での研究調査の結果がある。
経営理念を実際の行動に反映していくことが、仕事への一体化やこだわりを高めるが、これに加え、経営理念の内容認識は、組織成員の革新指向性にも影響を及ぼしてくる。経営理念の内容を深く理解することをきっかけにして、経営理念の文言に含まれているイノベーションや革新を実践しようとする傾向が強まってくるからである。加えて、経営理念そのものの浸透とは直接かかわっていないが、情緒的な組織コミットメントの職務関与への影響を確認することができる。すなわち、組織への一体感が、仕事に対する没頭を生み出す源泉になるということである。―麗澤大学経済学部教授 高 巖
経営理念は、事業が社会において成長しつづけるか否かに影響を及ぼすのである。
大学時代、稲盛氏に感銘を受けた前田氏は、幼いころから「基本」を大切にして生きてきた。だからこそ、人間の原理原則を語り、経営を語る稲盛氏の本にはより感動を覚えた。そして、その心を胸に留めているからこそ、挫折があったとしても、日本の未来に向けて成長を続けることができるのだろう。
経営にとっても、人間にとっても大事なことはシンプルである。それはまた、全世界・全時代で普遍的に通ずるものであると、稲盛氏は示してくれている。前田氏はその思いを受け継ぎ、社会をより良い場所へと変革していくのだろう。
文・石川翔太/Focus On編集部
※参考
髙巖(2010)「経営理念はパフォーマンスに影響を及ぼすか--経営理念の浸透に関する調査結果をもとに」,『Reitaku international journal of economic studies』18(1),麗沢大学経済学会,< http://www.reitaku-u.ac.jp/ja/wp-content/themes/reitaku-jp/uploads/2010/03/20100305.pdf >(参照2018-5-27).
リンカーズ株式会社 前田佳宏
代表取締役社長
1977年生まれ。福井県出身。大阪大学工学部卒業後、京セラ株式会社にて海外営業に従事。その後、株式会社野村総合研究所にて製造業を中心とした、事業戦略立案、欧米・アジア企業のM&A戦略立案・実行支援など数多くのプロジェクトに参画。メーカー同士のマッチングに課題を見出し、2012年にDistty株式会社(現リンカーズ株式会社)を創業。