Focus On
田中慎也
BIJIN&Co.株式会社(ビジンアンドカンパニー)  
代表取締役
メールアドレスで登録
or時代の価値観が変わる瞬間。そこには必ず誰かが起こした行動がある。
FAXや電話が主役だった従来のアナログな受発注業務にDXを、やさしいテクノロジーで社会をアップデートしていくCO-NECT株式会社。同社が展開するBtoB受発注システム「CO-NECT」は、煩雑でミスが起きやすいFAXでの企業間における受発注業務をスマホやPCに置き換え、簡単便利に効率化できるサービスだ。2020年、総務省・商工会議所などが後援する「ASPIC IoT・AI・クラウドアワード2020」においては、ニュービジネスモデル賞を獲得した実績も持つ。
代表取締役の田口雄介は、新卒で楽天に入社しエンジニアとして活躍。その後、リクルートでディレクターとして新規事業開発などに従事したのち、2015年にCO-NECT株式会社(旧 株式会社ハイドアウトクラブ)を共同創業した。同氏が語る「歴史のプロセスに携わる意味」とは。
目次
スマホやPCで数クリック。たったそれだけで注文が完了し、受注側はインターネットに繋がる環境さえあればどこでも注⽂を受けられる。CO-NECTが描くのは、実にシンプルで滑らかな受発注業務の在り方だ。
「どれだけ便利で、なくてはならないと思えるようなサービスを提供できるか、というところが非常に重要だなと思っています。『CO-NECT』を使ってみて面白いねとかではなくて、シンプルにクライアントのビジネスや実生活において『CO-NECTがあるとめちゃくちゃ便利になります』っていう状況に持っていくことが何より近道だなと」
たとえば、過去にはSNSが匿名から実名へと切り替わり、プライベートのみならずビジネスシーンで使われるものへと変化を遂げてきた。その要因は、単純に実名の方が実生活やリアルなビジネスにおいて便利だったからではないかと田口は語る。
実生活においてどれだけ便利であるか。それを突き詰めることが、サービスが当たり前に使われるようになる未来、社会の価値観が変化するために必要になるのではないかと考えるという。
同社が展開するBtoB受発注システム「CO-NECT」は、その使いやすさが何より特徴的なサービスになっている。
たとえば、ユーザーのITリテラシーに左右されない直感的なインターフェースを備えるだけでなく、受注側と発注側どちらかにしか導入されていない状態であっても利用できる*。(*「CO-NECT」内システムがFAX・メールに自動変換して発注書を送信する)
さらに、発注側企業は飲食・小売り・卸に加え、メーカーや公的機関など幅広い業種に対応しており、2022年2月現在、流通商品数は累計3500万点を突破しているという。いまだFAXや電話で受発注を行っている業界業種は、実はまだまだ多い。
「今、僕らがDXしようとしている領域って、だいたいアナログの流通が700兆円と言われています。その700兆円をデジタルに変えていきたいと思っています」
FAXからWebへ切り替わる。それ自体手間やコストを大幅に削減するものだが、同社ではその先のフェーズまでをも見据えている。
受発注に関連するデータの解析・活用や情報共有が進むことで、ビジネス全体がシームレスに繋がるようになり、最適化されていくと田口は語る。
「受発注は企業と企業のコミュニケーションにおける入り口だなって思っています。受発注をした先の基幹システムにデータを連携したり、会計ソフトと連携したりとかいろいろ可能だと思うのですが、裏側にいろんなシステムが控えているものの最初の窓口になるのが受発注になるからこそ、まずはそこを効率良く、より使いやすくしていきたいと考えています」
やさしいテクノロジーで社会をアップデートする。掲げる理念の通り、CO-NECTは受発注を軸としながら企業活動全体の在り方を進化させていく。
歴史上の偉人たちはいかに生き、時代を動かしたのか。ひとたび本を開けば、十人十色の個性が垣間見えてくる。描かれるドラマチックな人生の数々は、現代を生きる私たちをも魅了してやまない。田口もまた、そんな歴史の魅力に幼い頃から取り憑かれてきたうちの1人だという。
特に、歴史に親しむようになったきっかけは、父親にあるようだ。
「父親がすごい本の虫でしたね。毎週一緒に図書館に行って、本を借りて。父親も歴史の本が好きだったので、その影響もあって歴史の本や漫画を読んでいたのは覚えています」
最初は漫画ばかり読む少年だったという。そんな子供の姿を両親や親戚は見かねたのかもしれない。「日本の歴史」と題されるようなシリーズものの漫画セットなどが買い与えられ、気づけば暇さえあれば読むようになった。
一度では飽き足らず、何度も何度も読み返す。そうするうちに、自然と歴史に触れることが生活の一部になっていった。
「なかでも当時一番好きだったのは武田信玄で。漫画での武田信玄の性格とかスタイルとかが好きでした。同時代だと、織田信長は独断専行なカリスマとして描かれがちですが、武田信玄はみんなでいろいろ知恵を絞りつつ、最後は信玄がまとめていくっていうやり方で、当時は何故かそれが好きだったんですよね(笑)。単純に人の意見を聞いてえらいなと幼心に思っていたのかもしれません」
1人で突き進むタイプだった武田信玄の父親は、家臣から見放され追放された過去がある。親の姿から学んだからこそ、信玄はよく話を聞き、人の扱いに長けた名将として後世に知られるようになったこと。そんなストーリーを紐解いていくこともまた、歴史を知る醍醐味だった。
3歳、七五三にて
漫画や本を通じて物語に浸ることを楽しむ一方で、小学校ではやはり友達と遊ぶ時間が楽しかったと田口は語る。勉強にはあまり興味がなく、運動が好きだった。
「小学校の時は『SLAM DUNK』を読んで、バスケを始めて。当時は友達とバスケして遊んでいる時が一番楽しかったですね」
何でもない毎日、ほかに特別な心配事もなかった。
「勉強もそうですけど、だいたい誰か自分より優れた人が周りにいるような状況だった気がします。小学校時代は運動もできる方でしたが、1番にはなれない。足の速さもだいたい2、3番目で、クラスのリレーはずっと代表選手が体調不良になった時の2番手みたいな感じでした。2番手ポジションはいつも残念ではありましたが、必要とされてもいたので、楽しんでいたと思いますね」
バスケットボールで遊ぶことが楽しい。本や漫画が面白い。歴史の本はやはり特別面白かった。親に言われるがまま中学受験をすることになり塾に通い始めた時も、そこでできた新しい友達と過ごす時間、大きく広がる交友関係を楽しんでいた。
ごく普通の小学生。そんな日常に、想像もしない発見をもたらしてくれる歴史。だからこそ、余計に歴史の本に描かれた偉人の人生は、目新しいおもちゃ箱のように彩りに満ちて見えていたのかもしれない。
小学5年生、運動会にて。写真左が田口
父とともに毎週図書館へ足を運ぶ習慣は、小学校のあいだずっと続けていた。毎週2、3冊ずつ借りては、次の週に返却するために読んでいく。そんな生活のおかげか、中学受験では日本史と社会、国語には困らなかった。
相変わらず歴史は好きなまま、中学生になると1つのゲームと偶然出会う。歴史シミュレーションゲームの金字塔「信長の野望」だ。プレイヤーは戦国大名の1人として、外交や合戦を行いながら天下統一を目指す。これが面白かった。
同じゲームで遊んでいる友達はいないため、学校で話題にすることもなかったが、家では1人で黙々と遊び尽くしていた。
「何が好きかって、歴史の流れがあるじゃないですか。たとえば、信長って本能寺の変で死んじゃいますけど、もし死ななかったらみたいなルートを自分なりに考えて、それを進めていくのが楽しいんですよ。歴史を自分で作っていくんです。もしこうなっていたら、こうなっていたんだろうなって想像しながらゲームをしていました」
仮に、ある有力者の行動が1つ変わったとする。その先の未来をイメージしていくと、変化は連鎖的に起きていくことが分かる。偉人の最期、為政者のパワーバランス、のちに続く社会制度への影響など可能性は計り知れない。
そのとき初めて、史実とはまるで違った歴史がつくられていた可能性に思い当たった。歴史はIf(イフ)を描くことができるのだ。ただ記録された歴史を知るだけでなく、自分なりに歴史を考えることに夢中になっていった。
途方もなく長い人類史のなかでも、たかだか数十年。偉人の人生の一つひとつは短い。しかし、それらは点として意味を持つのではなく、あくまで数百年、数千年という時代の流れのなかの1プロセスなのだ。
そして、その1プロセスの存在意義は、社会の価値観変化という形で現れてくる。
「時代の流れって、どんどん新しい価値観に塗り替わっていくことだなと、歴史の本とか読んですごく感じるようになって」
幕末から明治維新などは分かりやすい例だろう。明治維新は間違いなく当時の価値観を塗り替える契機となった。そして歴史上、社会の価値観を新しい方向へと導いていく人々がいた。
「高校くらいまでは、伝統や信念を守る守旧派が好きだったんですよね。武田信玄とか新選組とか。でも、大学からは逆側の坂本龍馬とか織田信長とかがすごい好きになって。坂本龍馬も信長も、今までの価値観から違う価値観に導こうとする動きをしていた人たちだと思うので、そっちの方にロマンを感じるようになって、自分もそういう生き方をしたいなと思うようになりました」
では、自分はどうだろう。自分の行動がどんな風に社会に変化を起こし得るものなのか、少しずつ考えはじめていた。
ちょうど中学受験の頃、父が目を患っていたこともきっかけとなった。
「ちょうど中学受験の前後くらいに父親が目を患い、手術しなきゃいけないことになったのですが、当時手術の成功率が30~40%くらいで、失敗したら失明すると言われていて。手術は成功したんですが、100%良くなったわけではなくて。父が人生でやりたいことの選択肢が狭まっているのを感じていたので、やりたいときにやっておかないと、いざという時にやれなかったり、迷ったまま人生を終えるのかもしれないなと思いはじめました」
死ぬ直前になって「ああ、あれをやっておけばよかった」と後悔するようなことはしたくない。だから、やりたいことや興味があることはやってみる。すぐに行動を起こしてみた方がよさそうだ。
きっと好きな歴史上の人物だって、行動を起こしたからこそ結果が生まれ、本となり残っているはずである。
歴史の本を読んでいると、仮にそのプロセスに携わったと言われる人物がいなくても、歴史は同じ方向に進んでいただろうとする議論もあった。しかし、大きな流れはそうだとしても、全く同じにはならないのではないかと考えている。
その人なりの信念や人間関係、細かな手法の違いが、少しずつ歴史の細部を動かしている。そうであるならば、自分も行動してみる意味がある。思いがあるなら、やってみていいはずだ。
偉人たちが社会の価値観を変えてきたように、そのプロセスに自分も携わりたいと、強く思うようになっていった。
高校2年生、クラスメイトと
大学は法学部政治学科に進学した。受験勉強の合間に見ていた法律ドラマの影響と、好きだった近代史の影響だ。政治は時代を動かす。当時はまさに政治家こそが、社会を新しい価値観へと導く職業なのではないかと考えていた。
「政策論的な授業とか政治史とかやりたいなと思っていたんですよね。1年生の時は楽しく授業を受けていたんですけど、実際、自分が政治家になるのって大変だし、時代を動かすという観点でいくと、ビジネスで動かす方が実は早いのではと考えるようになったのが、大学1、2年生の時です」
ビジネスに触れてみたい。ちょうど高校まではずっとバスケットボールを続けてきたこともあり、大学からは新しいことをやりたいと思っていた。大学2年生からは、ベンチャー企業でインターン生として働きはじめる。
田口が採用された会社は、当時まだ珍しかったメンタルヘルスケア領域のベンチャー企業だった。従業員のメンタルヘルス対策の福利厚生パッケージを販売し、契約企業には自社からカウンセラーを派遣する。まだ産業医によるメンタルケアが一般化していなかった当時、新しい市場を開拓している点に惹かれ、応募した。
「営業が面白いなと思っていましたね。最初はただの学生だったので企業に行ってお話しするだけで楽しかったんですけど、自分の行動によって結果が出るっていうのが楽しかったです」
行動の量も質も、自分次第で結果が分かりやすく変わる。相手から反応が返ってくる。そこにやりがいがあり、面白さがあった。将来も営業として働いていきたいと思える。なおかつ自然にビジネスの世界へとのめり込んでいく自分がいた。
就職活動の時期が近づくと、やはり自分の中の変わらない軸を意識した。
価値観を変え、社会の新しいスタンダードをつくるような仕事がしたい。そのためには、インターン先のように新規事業に積極的な会社で働きたいと考えていた。
希望が叶いそうな5社ほどから内定をもらい、最終的には業界の成長性が魅力だった楽天株式会社への入社を決めた。
大学時代、友人と
新卒同期は約150人。そのうち大半は営業配属で、30人が開発部へと配属されることになると聞いていた。けれど、まさかその30人に自分が含まれることになるとは想像していなかった。
未経験からプログラミングを始めることになる。周囲もほぼ同じスタートラインとはいえ、営業が好きだっただけに期待が外れたような気持ちにもなる。
そんなときふと思い出されたのは、内定者アルバイトで出会った先輩の言葉だった。
「楽天に買収されたスタートアップ創業者の方の下でバイトしていて、ランチしたり喋っていた時に、その方が『社会人の最初は苦手なことをやった方がいいよ』という話をされていたんです。それもあって、最初はまじかーと思っていたんですけど、まぁ頑張ろうと思って、なんだかんだで7年ほどいましたね」
当時楽天では盛んにM&Aが行われていた時期であり、必然的に買収されたベンチャー・スタートアップ企業の創業者や、スーパーエンジニアのような人と肩を並べ働ける環境がつくられていた。
文句なしの実績を持つプロフェッショナルたちの言葉には説得力がある。実際、当時その言葉をかけてくれた先輩は、のちに起業した会社を上場へと導いたうえシリアルアントレプレナーとして名を馳せている。ほかにも並外れて優秀なエンジニアたちに囲まれ、その仕事ぶりを目の当たりにする機会は多かった。
たとえば、米国で評価されはじめたばかりの最新技術にも通じており、日本ではまだ概念すら存在しないようなテーマについて改善提案できるような人がいる。社内の専門家すら懐疑的な技術を自社に最適化させたうえ、ロジカルに説得し巻き込んでいく姿。散々周囲に反対されていたにもかかわらず、1年後には、逆にその人の言う通りの仕組みがスタンダードになっていたりする。
一緒に働いていると、自分との差を思い知らされた。
「そこで突き抜けるのは難しいなと思いましたね。最終的に担当サービスのエンジニアリーダーまでやったんですが、ここが限界だなと思いながらやっていました。プログラミング自体は面白いんですけど、どちらかと言うとその面白さよりも、新しくサービスを作ってそれを世の中に広める方をやりたいと思っていたので」
エンジニアとして優秀な人たちの発想力は、やはり秀逸だ。それは同時に開発者特有の能力でもあるように思われた。
対して、自分はプログラミングの面白さに没頭しきれていない。
技術領域で新しいスタンダードを作りたいわけではなく、やはり社会の新しいスタンダードを作りたかった。
楽天時代、同期との開発合宿にて
携帯電話やスマートフォンのGPS機能を使って、今いる場所にチェックインして友達と近況をシェアし合う。ユーザーの位置情報をベースに、少しのゲーム要素とコミュニケーション機能を兼ね備えたソーシャルネットワーキングサービス「Foursquare(フォースクエア)」が、世にリリースされたのが2009年。
いわゆる位置情報サービスが、それまでにない概念として全世界で一世を風靡しようとしていた時代だった。
ちょうど流行の最中、社会で新しいスタンダードとなり得る事業に意識を向けていた田口は、まさにこの位置情報サービスこそ挑戦してみる価値ある領域だと感じていた。
ひとまず社内でも手を挙げ提案する。けれど、さまざまな事情があり難しいという結論に至る。そんなとき目に留まったのが、リクルートが出していたリリースだった。新しく位置情報サービスを始めるという。新卒から働いて7年。もし転職するなら、そろそろ頃合いかもしれないと考えていたタイミングでもあった。
「リクルートの面接を受けた時、転職する気は100%ではなかったんですけど、ひとまずどんな感じなのかなと思って面接を受けに行ったんです。『位置情報サービスをやりたい』と言ったら『いいですよ』と言われて。それじゃあ行こうかなというところで、転職することにしました」
実験的アプリという立ち位置ではあるが、新規事業としての位置情報サービスに携われることが決まった。7年間お世話になった会社に感謝しつつ別れを告げ、新天地で期待を胸に挑戦に乗り出す。
しかし、早々にマネタイズなどの壁に直面。早々にクローズが決まり、田口はもともと兼務していたホットペッパービューティーでの業務に本腰を入れることになった。
「ちょうどネット予約がこれから浸透するかしないかみたいなタイミングだったんです。今ではネット予約は当たり前ですけど、まだアプリを見て電話番号にコールして予約する時代だったので。その過渡期にいて、どんどん価値観が移り変わっていくさまを見れたことは面白かったですね」
当時は1人のWebディレクターとして、ユーザー側の予約体験最適化に携わっていたに過ぎない。それでもプロジェクトは、日々さまざまなハードルを乗り越えながら進化していく。全体統括を担うプロデューサーは素晴らしい人であったし、次々と打ち手が示され実現されていく実感も、プロジェクトの一員として十分肌で感じられるものだった。
「その後『ポンパレモール』というサービスの配属になったり、新規事業や『エアウォレット』というサービスも担当するようになったり。いろいろと兼務する分量が増えていったんですけど……。そのなかで新規事業をやるにあたって、会社全体の戦略と、シンプルに新しい事業のことだけを考えたときの視点と、全てをうまく合わせながらやっていくことが難しいと感じるようになって。自分でゼロからやりたいなと思うようになったんです」
企業に所属しながら新規事業をつくる。学生時代からそれが最善だと考えてきたが、実際に新規事業のプロジェクトに参加してみると、その枠組みを超え自分なりに試したいと思うようなことも出てきた。
もちろん会社としてフォーカスすべき部分や意図は重要で、決して疎かにはできない。でも、それよりも信じてフォーカスしたいと思える挑戦があったとしたら?起業という選択肢もあるのだと改めて考えた。
自分のやりたいことを実現するために、行動を起こす時が来たのかもしれない。
「世の中の新しいスタンダードを作りたいという思いは、もともと学生時代から持っていたんですけど、じゃあ起業して何やろうかと思った時に、今までにないサービスを作りたいなって思ったんですよね」
創業のアイデアは、身近なところから見つかった。過去、友人と北海道旅行に行った際に出会って以来、すっかり虜になっていたウイスキー。そこにITを掛け合わせてみるのはどうかと考えたのだ。ちょうど世界的にもウイスキー需要拡大の兆しがあったうえ、まだ世の中にはないサービスが作れそうだった。
開発にあたっては、楽天時代の後輩である川崎文洋に声をかけた。起業に興味があり、信頼できるエンジニアである川崎とともに、共同創業に向けた準備を進めていった。
2015年6月、株式会社ハイドアウトクラブ(現 CO-NECT株式会社)を創業。同名のアプリ「HIDEOUT CLUB」は、ウイスキー・バー愛好家向けのコミュニティアプリとしてリリースされた。
「当初ユーザーは着々と伸びてはいたものの、ぐいぐい急成長していたかって言われるとそういうわけでもなくて。たしかに我々の出していたサービスと同じような形態のアプリって世の中になかったんですよね。ただ、面白いんだけど『なくてはならない』アプリになるにはちょっと難しいと感じました」
起業するにあたっては、今までにないサービスを作ることを意識した。ある程度のユーザーに「面白い」と感じてもらえるアプリは出来上がっていた自負がある。
しかし本来、時代の流れの中で「新しいスタンダード」となる存在は、「なくてはならない」ものとして必要とされるはずであると考えた。
今までになく、なおかつ「なくてはならない」サービスを作ることはできないか。
新たな気づきとともに、田口はピボットに向けて奔走する。ヒントは、ヒアリングに足を運んだバーの店員との会話にあった。
飲食店でいまだ根強いFAXでの受発注業務。そこにある非効率と、作業のアナログさゆえになくならない誤発注。それらを丸ごとスマホで簡単な作業に置き換えられないかと考え、生まれたのがBtoB受発注システム「CO-NECT」だった。
当初想定した飲食業というターゲットを超え、のちには医薬品、建築資材など多種多様な業種のクライアントから必要とされるようになっていった。
「今、どの業界でも受発注のデジタル化っていうのはテーマになりつつあるのを肌で感じています。あらゆる業界のDXに貢献できるようなプロダクトにしていきたいなと思っていますし、それが新しいスタンダードに繋がっていくのかなと思っています」
業界によって差はあれど、FAXはいまだ商習慣に深く根付いている。社会に革新的なイノベーションを起こそうとするスタートアップ企業でさえ、必要性からやむをえず事業所にFAXを設置している場合がある。考えてみれば、それが当たり前である必要はないはずだ。
他方、スマートフォンをはじめとするスマートデバイスは、ようやく一人一台といっても過言ではないほどに普及が進む時代となった。
FAXが置き換わる。その兆しが、時代の流れとして見えてきたのではないかと田口は語る。
今までになく、なくてはならないものを作る。それにより、社会の新しいスタンダードを作ること。そうして価値観を塗り替えたい。
CO-NECTの思いは今、歴史の1ページに刻まれるであろう挑戦へと向かっている。
歴史に生き方を学び、理想や憧れを見出してきた田口。経営者としての挑戦も、時代という大きなスパンで捉えるものであるようだ。
「歴史に名を残したいみたいな欲求はないです。時代が進むなかの1プロセスになればいいなと思っているんです。自分たちが作った新しいサービスが新しいスタンダードになったとしても、100年後も残っているかというと、そんなことはないと思うので」
いずれ価値観は新しいものへと塗り替わる。そのなかで、今を生きる私たちには何ができるのだろうか。
「歴史の大きな流れとしては、誰が何をしようが変わらないかなっていうのは思うんですが、細かい部分だと誰がやったかによって変わってくるというのは思ったりするんですよね」
たとえば、幕末の日本では薩長同盟が江戸幕府に勝利した。そのため明治維新が起こり、今日の日本社会に繋がっている。
けれど、仮に幕府側が勝っていたとしても、同様に日本の近代化は進んでいたとする説もある。大きな時代の流れとしてはたしかに同じかもしれない。しかし、歴史の細部まで目を向けると、そこには差異が生まれてくるのではないかと田口は考える。
「明治期に起きたすごい改革、たとえば廃藩置県とかってあるじゃないですか。ああいった改革は、仮に江戸幕府の系譜で来たとすると、既得権を持った人たちが強すぎてしまうのでできなかっただろうなと思っています。そうすると近代化のスピードも遅れてくるので、日清戦争や日露戦争も起きたか分からないし、起きたとしても同じ結果になっていたかどうか分からないですし、今と完全に同じ世の中になっていたかというと分からないな、と」
誰が担い手になっても、歴史の流れは変わらないかもしれない。それでも誰かが歴史を変えようとする行動の意味は、些細な違いに宿る。CO-NECTの事業もそうだという。
「受発注システム『CO-NECT』を考えたときも、FAXがシュリンクすることって間違いなく時代の流れだし、我々がやらなくてもきっと誰かがやるだろうと思いました。でも、FAXをなくしてWebに切り替わるのは時代の大きな流れだとしても、その切り替え方をどうやるか、どういうものに切り替えていくか。自分たちが良いと考えたサービスを提供するからこそ、我々自身がより良いと思う世界に繋げられるんじゃないかと考えて、生まれたのが『CO-NECT』です」
同じ時代を生きる人であれば、自分と同じ課題感と向き合う人はきっとほかにもいるはずだ。しかし、1から100まで全く同じ考えの人など存在しない。思いを実現するとき、それぞれが生きた人生の証がそこに現れる。
だから、自分がベストだと考えるアイデアを実現したいと思うなら、ほかでもない自分が主体となり実行するのが一番だ。
そうして行動を起こす人、歴史を前に進めていく人が増えるほど、やがて社会の可能性は広がっていくのだろう。
2022.3.18
文・引田有佳/Focus On編集部
あくまで主観だが、「歴史が好き」だと語る経営者は多い。なかでも田口氏は、かなりディープに歴史を愛好している方だ。幼少期から年齢を重ねるごとに、お気に入りの歴史上の人物や出来事が移り変わっていく。そこに自身の価値観変化が現れてくるという。まさに人生とともに歴史がある。
いかに社会が変化し、そこでどんな人物がどんな役割を担ったのか。歴史をより俯瞰していけば、一つひとつの転換点は1プロセスに過ぎない。過去から学べるように、一世を風靡する商品や価値観が新しく生まれても、当然それは未来永劫続くものではない。しかし同時に、その存在があったからこそ到達する未来があるとも言える。
過去があるから未来がある。CO-NECTの挑戦も、そんな歴史の1プロセスになると田口氏は考える。
歴史を前に進めるのは、何も偉人として名を馳せる人だけではない。誰もが多かれ少なかれ何らかの形や役割で、歴史を前進させることに貢献しうる。名もない誰かの人知れぬ挑戦ですら、後世にとっては重要な革新に繋がる一手となる可能性を秘めている。
文・Focus On編集部
CO-NECT株式会社 田口雄介
代表取締役
1983年生まれ。神奈川県出身。立教大学を卒業後、楽天株式会社に入社。その後、株式会社リクルートを経て2015年6月に株式会社ハイドアウトクラブ(現 CO-NECT株式会社)を共同創業し、代表取締役に就任。JWRC認定ウイスキーエキスパート。